堀江ひとみ【反暴力団活動家】のwiki(経歴・娘)現在は?娘のまやは?

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事件

堀江ひとみさんは反暴力団活動家で「暴力団被害者の会」会長をされていた方です。

気になる堀江さんのことについてまとめてみました。

 

 

 

 

堀江ひとみのwiki(経歴・娘)現在は?娘のまやは?

 

名前:堀江 ひとみ(ほりえ ひとみ)

生年月日:1935年

出身地:不明

死去日:2012年4月15日(満77歳)

家族:一人娘(※19歳で死去)、夫の情報なし

経歴

元々はごく普通の主婦であったが、当時まだ19歳であった一人娘を亡くしてから状況が一変してしまう。なんと兵庫県尼崎市内で起きた暴力団抗争の流れ弾に娘のまやさんが巻き込まれ被弾してしまったのです。何の罪もない大事な一人娘の命を奪われ悲しみに打ちひしがれる日々…。

その後、実行犯は逮捕されましたが、娘を亡くした母親のひとみさんは納得がいきませんでした。

「娘の命を奪った実行犯は逮捕されたけど、暴力団は完全なる犯罪組織。実行犯に指示を出した指示役や組織のトップにも責任を取らせないと納得で出来ない。」と暴力団の組織のトップにも責任を追及し、娘の仇を取る復讐を誓ったのです。

そこで堀江ひとみさんは史上初の暴力団組長相手に損害賠償請求訴訟を起こします。しかし、相手が相手なので脅迫が毎日繰り返され、電車を待つ駅のホームで突き落とされかけたことも一度や二度ではなかった、と話します。

しかし、それでも「娘の仇を取るまでは死ねない」という思いを胸に活動することを辞めませんでした。最終的には 4000万円の和解金を暴力団組長から勝ち取ることができ、その 4000万円の和解金の一部で設立した「まや基金」は、後に「暴力団被害者の会」「暴力団被害救済基金」へとつながることとなったのです。

愛する娘さんの命を奪われて以降、母堀江ひとみさんは「暴力団追放運動」に人生を捧げてきました。娘の位牌を胸に抱き、和服姿で暴追運動のために全国を駆け回り、時には暴力団の発砲事件で犠牲になった家族たちの支援にも飛んでいきました。

暴力団に目を付けられたことで「マルタイ」(要保護対象)としての生き方を余儀なくされてしまいましたが、兵庫県警の捜査員たち、裁判を支えた検事や弁護士、学生たちに支えられ「お母さん」と慕われながら活動を継続したのです。いつか暴力団がいなくなることを夢見て、何気ない家族との日常を当たり前のように送れる日々を夢見て…。

静岡県河津町の自宅で心不全で死去(享年77)

 

類似の事件~何の罪のない一般人が巻き込まれるという理不尽さ~

近年では暴力団の排除条例等の法律と一般市民にも認識が浸透してきてきたため、以前に比べるとかなり減ってきたように感じると思いますが、それでも時々はニュースなどで耳にすることもあります。また、過去には堀江さん親子と同様に何の罪もない人々の命が奪われる事件が起きています。

暴力団の対立抗争に巻き込まれた一般市民3人を含む4人が亡くなった2003年の群馬県前橋市三俣町のスナック拳銃乱射事件から25日で20年になる。店内に居合わせて犠牲になった男性=当時(50)=の長女(49)が上毛新聞の取材に応じ、「暴力団のない社会を実現するために声を上げ続けたい」と訴えた。

男性は調理師で、当時は同市内のラーメン店で働いていた。横浜中華街で修業した腕を生かし、家でも祝い事の日はニンジンをツルの形に器用に飾り切りし、食卓を彩ってくれた。人をもてなすのが好きで、通常の4個分はありそうな大きさの手作りギョーザやシューマイを、よく近所に配っていたという。

事件直後も、家の冷蔵庫に友人に配る予定だったとみられる手作りシューマイが大量にあった。きょうだいで分けて食べた時、「当たり前にあった物が、もうない」という喪失感をかみしめた。「まねしても同じ味にはならない。作り方を教わっておけば良かった」

男性は長女ら子どもが社会人になったことを受け、事件の1年ほど前から「ここからは俺の人生だ」と口にするようになっていた。孫が大きくなったら一緒に野球をしたい―。そんな夢を語っていた。

当時、幼かった長女の長男とおなかにいた次男は社会人と大学生になった。スポーツが好きだった男性に似て柔道と相撲に打ち込んだという。長女は「一緒に試合を応援して成長の喜びを分かち合いたかった」と話す。

暴力団関係者による銃撃事件は、近年も県内外で相次いでいる。20年に桐生市、21年に伊勢崎市で、暴力団関係者同士のトラブルとみられる銃撃事件が発生。今月6日にも、埼玉県狭山市で暴力団員とみられる男性が拳銃のようなもので撃たれ死亡した。

長女は今年、男性が亡くなった年齢になる。「自分があと1年しか生きられないと考えると、やっぱり(父の死は)早過ぎた。暴力団同士の抗争がなければ、父は亡くならなかった。事件に巻き込まれて悲しむ人を、もう出してはいけない」。続発する事件にもどかしさを抱きつつ、今後も取材を受けるなどして暴力団犯罪の根絶を訴え続けるつもりだ。

前橋スナック拳銃乱射事件 2003年1月25日深夜、前橋市三俣町のスナックで男2人が拳銃を乱射し、居合わせた男性ら4人を殺害、指定暴力団稲川会系の元組長ら2人に重傷を負わせた。県警は重傷を負った元組長を狙った抗争事件として、04年に指定暴力団住吉会系の元会長、矢野治元死刑囚=20年、拘置所内で71歳で死亡=と元幹部、小日向将人死刑囚(53)、山田健一郎死刑囚(56)を逮捕。14年までに全員の刑が確定した。

引用元:上毛新聞社のニュースサイト

当たり前の日常が奪われていく理不尽さ…暴力団を排除しようとする運動はこれからも重要になってきます。私たちもまた、それらの人々を許さない気持ちを持って生活していくことが大事であると考えます。

 

 

 

 

 

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