医師の猪野屋博さんは5年前に見ず知らずの困っている高校生にお金を渡したことで、一時期有名になった方です。
今回はそんな医師の猪野屋博さんについて、学歴や経歴・年齢は?どこの病院に勤務しているのか?などを調べてまとめてみました。
航空券をなくし困っていた見ず知らずの高校生にお金を渡した医師
那覇市の高校生が市内で航空券代をなくし、途方に暮れていた時、連絡先も聞かず現金6万円を渡してくれたのは、見ず知らずの男性だった。後日、「お金を返してお礼が言いたい」と新聞記事で呼びかけると、埼玉県の男性と判明。21日に沖縄で再会した。
高校生は沖縄工業高校2年の崎元颯馬(そうま)さん(17)。男性は埼玉県の医師、猪野屋博さん(68)。
那覇市で寮生活を送る崎元さんは4月24日朝、伯父の葬儀で与那国島に帰るため、モノレールで那覇空港に向かっていた。ところが那覇空港駅で、財布をなくしたことに気づいた。
仕事で沖縄に滞在していた猪野屋さんは空港駅から乗車。乗客が降りた車内の座席で頭を抱える崎元さんに気づき「どうしたの?」と声をかけた。財布をなくし、飛行機の時間が迫っていると聞いた猪野屋さんは「いくら?」と尋ね、崎元さんは「6万円」と財布に入っていた額を答えた。航空券代を聞いたつもりだった猪野屋さんは、与那国島までにしては高いと一瞬不審に思った。ただ、発車のベルが鳴ったため、6万円を手渡して先を急がせた。連絡先や名前は確認しなかった。
崎元さんは伯父の葬儀に参列。その後、父親や先生に相談し、沖縄の新聞社に連絡して、「借りたお金を返し、お礼がしたい」という顔写真つきの記事を掲載してもらった。5月10日、いきさつを聞いていた同僚がネット上でこの記事に気づき、猪野屋さんに伝えた。
21日、沖縄工業高校を訪問した猪野屋さんを、崎元さんが出迎えた。なくした財布は別の駅で保管され、6万円は手元に戻ってきた。崎元さんはお金を返し、「感謝」の文字と2人の名前を刻んだアルミニウム製の文鎮をお礼に贈呈。「直接お礼が言えてほっとしています。あのときは、声をかけてもらえただけでも落ち着くことができた。自分も困っている人に声をかけられるような人になりたい」と語った。
猪野屋さんは、6万円を渡した経緯を同僚に話すと「だまされたんだよ」と言われたという。「彼が捜しているというニュースをみて、涙が出るほどうれしかった」と振り返り、今回の再会を喜んだ。
引用元:朝日新聞デジタル
このエピソードは一時期話題となりました。
なかなか人にお金を渡すのって出来ないことだと思うのですが、本当に困っている崎元さんを見て放っておけなかったのでしょうね。
崎元さんは借りた6万円を入れた封筒と、「猪野屋博様 感謝 崎元颯馬」と記した手作りのアルミ製の文鎮を手渡しました。https://t.co/90ev4UU61b
— 毎日新聞 (@mainichi) May 21, 2019
この親切心が生んだ感動のエピソードは中学校3年生の道徳の教科書にも掲載されているようです。
あかつき教育図書の中学3年の道徳には、2019年に本紙で報道された人助けの話題が取り上げられた。
猪野屋博医師のwiki!!学歴や経歴・年齢は?どこの病院に勤務?イムス三芳総合病院?
猪野屋博さんは現在埼玉県にあるイムス三芳総合病院の脳卒中(血管内手術)・頭蓋底腫瘍神経内視鏡センター長を務められているようです。
猪野屋さんは母親が沖縄出身。医師として県立那覇病院、豊見城中央病院に勤務経験もあり、最近も月に1回程度は来県している。そんな中で困っている崎元さんに偶然遭遇することになったのですね。
猪野屋さん自身にも成人した子供が3人いて、県内の南城市の久高島留学センターで山村留学していた経験もあり、何かと沖縄にはゆかりがあるのですね。
年齢は崎元さんに会った時に68歳という情報だったので、今年で73歳くらいになられるようです。
猪野屋博医師の学歴と経歴
【学歴】
昭和 ?年首里高校卒業
昭和51年 新潟大学医学部卒
【経歴】
- 昭和58年 東京大学 脳神経外科文部教官
- 昭和62年 都立荏原病院 脳神経外科医長
- 平成 2年 沖縄県立那覇病院脳神経外科部長
- 平成 5年 新東京病院 脳神経外科部長
- 平成19年 同院 院長兼脳神経外科部長
- 平成22年 同院 名誉院長兼脳神経外科部長
- 平成24年 帝京大学医学部脳神経外科客員教授
- 平成24年 社会医療法人友愛会豊見城中央病院 脳神経外科部長
- 平成27年 医療法人ブルースカイ 松井病院 院長
- 平成28年 イムス三芳総合病院 脳卒中(血管内手術)・頭蓋底腫瘍神経内視鏡センター長
専門分野
日本脳神経外科学会(専門医)
東京大学 医学博士号