かつて高級料亭として大阪や福岡を中心に展開していた船場吉兆。しかし、2007年に産地偽装や賞味期限の食材の使用が明らかとなった。当時開いた記者会見で女将の湯木佐知子さんと長男である喜久郎さんが会見に臨んだが、喜久郎さんが母の佐知子さんに吹き込まれるような形での会見が話題となり「ささやき女将」と名称され、こちらも話題となった。
それから店は不信となり2008年に倒産をよぎなくされた。仕方のないことなもかもしれないが、あれから12年がたち船場吉兆を支えていた家族はその後どうなったのであろうか…。
今回は当時の船場吉兆事件を振り返ると共に、その後の湯木ファミリーがどうなっているのかを調べてまとめてみた。
船場吉兆食品偽装事件とは??
そもそも「船場吉兆」ってなに??
船場吉兆は大阪府中央区にかつてあった吉兆グループの高級料亭であった。先代は湯木佐知子(後の「ささやき女将」の名称)の父である湯木貞一が1930年に大阪市西区で「御鯛茶處吉兆」を創業したのが始めである。貞一は後に料理業者として史上初の文化功労者に選ばれた人物でもあった。
食品偽装問題とは??
1991年に父親の湯木貞一が暖簾分けを行い、三女の湯木佐知子の夫(婿養子)の夫の湯木正徳(吉兆の板前をしていた)が当時の吉兆船場店を与えられて開業した。その後婿養子である正徳社長と当時の経営陣であった妻子らによって、1999年には福岡市に博多店を出店させ九州にも進出した。また当時の高級デパートと提携し吉兆のブランド商品を販売するなどもしていた。
当初は上手くいっていたのかもしれない。しかし、採算重視の経営が行き過ぎてしまったのか、船場吉兆は徐々に傾いていたのだ。
2007年頃から賞味期限のラベルを貼り変えるなどの、賞味(消費)期限偽装、産地偽装、無許可酒造などの問題が次々と発覚。翌年の2008年1月には経営陣を刷新しグループ内の2店舗を閉業するなどして事業を縮小させたが、他の店舗では営業を継続していた。
しかし、運営している4店舗内の各店において食品の再提供(使い回し)が行われていたことが発覚。これが追い打ちとなり同年の5月末を持って全店舗が閉業し廃業となった。
その後、一連の偽装問題を会社側は「パートによる独自判断」と当初説明していた。しかし、後にパートらから「指示は店長(湯木尚二)によるもの」という告発と「店長に事故報告書に虚偽の記述を強要させられた」ことを明らかにしている。
食品偽装事件よりも会見での「ささやき女将」が有名に!?
これらの内部告発を受けて、湯木の経営陣も会見を開かざるを得なくなった。それがあの有名な「ささやき女将」会見である。会見では当初関与を否定していた経営陣側も認めることになった。
この会見では当時の女将であった湯木佐知子氏と長男の喜久郎氏が会見に出席したのだが、佐知子氏が喜久郎氏に囁くように話していた音声がマイクで全て聞こえている状況になっていた。喜久郎氏は母の佐知子氏に促されるように「言われた内容を繰り返すだけ」という前代未聞の記者会見となってしまった。その様子からマスコミから「ささやき女将」という名称を付けられたことでも有名な事件となっている。
「ささやき女将」の会見以降、さらにマスコミや世間から大バッシングされてしまい、お笑い界からも格好のネタにされてしまった。そして店のキャンセルが相次いだことで経営が悪化。廃業へと追い込まれる結果となった。
佐知子氏の次男尚二氏が語る!!その後の苦悩と再起
さて、あの事件から早くも13年が経過した。高級料亭「船場吉兆」を経営していた湯木ファミリーはその後どうなったのであろうか。
現在、父親の正徳さん、母の佐知子さん、長男の喜久郎さんは?
母親の佐知子さんはたまにテレビ出演しているのをみかえるが、現在尚二さんの両親は年金暮らしで飲食業に携わってはいないという。長男の喜久郎さんは飲食業ではなく全く異なる業種で働いているという。
次男・尚二氏は再起をかけて
廃業に追い込まれた当時、負債は8億円にまで膨れ上がっていた。店を閉業せざるをえなくなり、「一家離散かな…」と思ったという。自分たちがしてしまったこととは言え、貯金も100万円を切ってしまい「どうしようか…」と途方にくれていたのだ。
そんな最中2008年秋頃に、昔からの付き合いがあった外食チェーン店に声を掛けられた。
「時間があるならウチの店を手伝って欲しい。吉兆の料理技術を教えて欲しい。」と。
「月収15万円」と高級料亭船場吉兆の店長であったかつての尚二さんにとっては少ない額かもしれないが、「それでも嬉しくて、前向きになれた」と話す。
そしてその経験ををキッカケに個人事業主として会社を設立した。外食業の個人コンサルタントとして生計を立て始めたのだ。そして飲食店のコンサルト業をしているうちに、「もう一度自分の店をやってみたい」という思いにかられた。
そして大阪の難波に6坪、カウンター席が6席と小さい店ではあるが、お店をスタートさせることが出来た。すると吉兆時代に来てくれていたお客さんが少しずつ足を運んでくれるようになってくれたという。次第に商売も軌道に乗ってきたことで、2020年時点で本店、心斎橋店、越後橋ゆきや店、新店の4店舗のお店を開業。吉兆時代の社員も「もう一度やり直そう」と戻って来てくれた人もいるそう。
尚二さんは「あの時(偽装事件)のことは絶対に忘れてはいけないと思っている。我々の慢心が原因であったのだから。だからと言って船場吉兆の全てを否定することは出来ない。祖父から受け継がれた料理の味と食への探求心は受け継いでいきたい。」と話している。また、「『船場吉兆』と聞くとあまり良い印象は持たないかもしれないが、それを払拭できるように『日本料理 湯木』で邁進していきたい。」と意気込みを語る。
湯木尚二のお店はどこにあるの?
昨夜は(一社)知財活用戦略研究所の定例会議&忘年会。先日の日本知財学会での発表を報告させていただきました。忘年会はロータリーで大変お世話になっている日本料理湯木心斎橋店さんで。素晴らしいお料理の連続でした。写真は実際にいただいた半分ほど。大満足です。ありがとうございました! #isipu pic.twitter.com/boozkOgtVg
— しもも 時々 しもしも(下出 一) (@shimomo) December 12, 2019
湯木尚二さんが現在運営している「日本料理 湯木」は大阪市内を中心に4店舗経営している。生まれ変わった新生船場吉兆ならぬ湯木の日本料理を食べたい方はチェックしてみてはいかがだろうか。
「日本料理 湯木」の店舗情報
名称:日本料理 湯木
本店住所:〒530-0002 大阪府大阪市北区曽根崎新地1-7-12 ダーリンビル1F
電話番号:06-6348-2000
営業時間:昼 11:30~14:30(L.O.13:30) 夜17:30~22:00(L.O.21:00)
定休日:日曜日、祝日
お店のホームページ:「日本料理 湯木」公式ホームページ
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