「罪を犯した人が刑務所での刑期を終えた後、果たしてどれだけの人が普通に暮らしていけるのか…?」と考えたことはあるだろうか?
犯罪とは無縁の日常生活を送るためにはちゃんとした仕事に就くことが大事だが、前科のある人間を受け入れてくれる会社も多くはないのが厳しい現実だ。
しかし、そんな罪を犯した「元受刑者」であっても積極的に採用を受け入れている会社が北海道の札幌市にあると言う。それが「北洋建設」だ。社長は小澤輝真さん。北洋建設は父の代である約50年前から積極的に元受刑者を採用しており、今までの総人数は500人以上にもなるという。
元受刑者を積極的に採用している小澤さんであるが、実は今闘病中の身である。小澤さんは難病の「脊髄小脳変性症」という病気であり、歩くことも話すことも難しい状況下にある。だが、小澤さんは元受刑者を採用する活動を諦めない…。
今回はそんな小澤さんの経歴やプロフィールを振り返ると共に、現在の病状についても調べてまとめてみた。
小澤輝真【北洋建設】のプロフィールと経歴とは?
刑務所からの出所者を積極的に採用する北洋建設の小澤社長が自伝ともいえる「余命3年 社長の夢」を上梓。そのインタビュー書評を先週の週刊プレイボーイに掲載。昨日からネットにも転載されているので公開します。https://t.co/YmcrFPSrF7
— 樫田秀樹 (@kashidahideki) September 3, 2019
名前:小澤 輝真(おざわ てるまさ)
生年月日:1974年10月31日
出身地:北海道
学歴:放送大学大学院で「犯罪雇用学」専攻。2009年に放送大学教養学部卒業。
2012年日本大学経済学部卒業。
2015年放送大学大学院修士課程修了。
仕事:北洋建設株式会社取締役
1973年に輝真さんの父である政洋さんが会社を創業。人手不足ということもあり、当時から元受刑者の採用を行っていた。1991年に父親である輝真さんが亡くなったことに伴い、18歳で北洋建設に入社。
2012年に父親と同じ進行性の難病である「脊髄小脳変性症」を発症し、余命10年ほどあると宣告される。自身の運命を受け入れていたのか、2013年には現職である北洋建設代表取締役に就任。「仕事があれば再犯はしない」という自身の信念から、より積極的に元受刑者を受け入れた。またそれだけに留まることなく、大学院に進学し「犯罪雇用学」を専攻。経済学部でも学ぶなど(※学歴参照)積極的に活動を行ってきた。
小澤輝真は脊髄小脳変性症で闘病中!!「余命3年」と診断される
小澤さんは自分の父親も同じ病気であったことから、家族で遺伝する可能性のある”難病の病気”であることを幼い頃から自覚していたと思われる。人は病気になり余命を宣告されれば多くの人が動揺し様々な感情が出てくるのが普通だ。しかし小澤さんの場合、”既にそれらを受け入れた上で生きている”ことが言動や活動などからも理解出来る。それはとても勇気が必要なことであるし、誰しもが出来ることではないだろう。
小澤さんは宣告された時を以下のように振り返っている。
「とうとう(自分にも)きたか。」と落ち込みましたが、そのうち「余命があるからこそ生きた証を残そう」と決めたという。全国的に元受刑者を積極的に採用している会社があまりないことも知り、それならより「自分でやりたい」という思いが一層募ったと語る。
38歳で余命宣告を受け、今年で46歳。宣告を受けたのが38歳の時であった。そこから10年と考えると48歳。父の政洋さんが50歳で亡くなったことを考えるとちょうど同じくらいである。
現在小澤さんは人の手がなければ歩くことが難しい状況。移動は車椅子となっている。言葉も話づらくなっているようで、不明瞭とのことも多い。呼吸も苦しくなってくるのか酸素投与も欠かせない場面もある。
そんな自身の身体が大変な状況にも関わらず、小澤さんは全国の刑務所や少年院に自ら出向いては採用活動することを諦めない…
難病を抱え、それでも元受刑者を採用することを辞めない理由とは?
幼い頃からの環境
小澤さんは幼少の頃から元受刑者の従業員に可愛がられてきたので、そのような人たちにたいする偏見がない。そして少年たちの面倒を見る母親の姿を見て、自然と少年院や刑務所を出所した人たちの就労支援に取り組むようになった。
新規で採用しても半年以内で9割が辞めていく現実…それでも諦めない理由とは
北洋建設では、毎年数十名の前科者を受け入れているものの、そのうち約9割は半年以内で退社してしまうのが現実であるという。中には再び犯罪に手を染めてしまうのものいる。
それでも小澤さんは「再入社を希望すれば受け入れる、2度目に頑張ればいい。誰かが守ってやらなきゃ。」と話す。
こんなにも寛容である理由は「仕事さえあれば人は再犯しない」という揺るぎない信念があるからだ。実際のところ、出所者の約半数が再犯を重ねる理由のひとつに出所後に就職出来ず、あえて軽微な犯罪を犯し刑務所に戻るというパターンがあるという。そうならないためにも小澤社長は出所後の身元引受人となって社員寮まで準備し、彼らの更生に尽力しているのだ。たとえ9割の社員がいなくなってしまっても、少しでも仕事に就労して定着させることが小澤さんの喜びとやりがいにつながっている。
自身の運命を受け入れて
小澤さんは「脊髄小脳変性症」という難病になりながらも、そこまで悲観していない。
むしろ元受刑者である社員たちに「病気の私がこれだけ出来るんだからおまえたちも頑張れ」と自身の病を持ってでも社員を励まそうとしている。
小澤さんは自身の考えを花を咲かせることに例えて以下のように話している。
他人の花をどう咲かせるかではなく、まずは自分の花を大きく咲かせたい。自分の花を大きく咲かせることが、受刑者の雇用につながり、結果的に他人の花を咲かせることになる。
と話している。最後に小澤さんは「受刑者たちは皆立ち直りたいと思っています。そしてちゃんと働ける環境さえあれば、皆必ず立ち直る力を持っているんです。そのために自分の命が続く限り、これからも一人でも多くの受刑者を雇用し社会に貢献していきたい。」と意気込みを語っている。
コメント