山本栞奈【24時間テレビ】wiki(年齢・両親)!!現在は?病名や病気は何?

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人物

2023年8月26日(土)と27日(日)に毎年恒例の日本テレビ系「24時間テレビ46」が放送されます。

ジャニーズジュニアの「なにわ男子」がメインパーソナリティーを務めることになるのですが、その中でメンバーの藤原丈一郎さんが企画した「難病に立ち向かう25歳の女子大学生 声を失う前に届けたいメッセージ」が放送されます。

今回は進行し続ける難病にもめげずに戦い続ける山本栞奈さんについて気になったので調べてまとめてみました。

 

 

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山本栞奈【24時間テレビ】wiki(年齢・両親)は?病名や病気は何?

8月26日(土)、27日(日)に放送される「24時間テレビ46」(日本テレビ系)にて、メインパーソナリティーを務めるなにわ男子・藤原丈一郎が「難病に立ち向かう25歳の女子大学生 声を失う前に届けたいメッセージ」の企画を担当することが分かった。

2023年の「24時間テレビ」のテーマは、「明日のために、今日つながろう。」。メインパーソナリティーになにわ男子、チャリティーパーティーに芦田愛菜、有働由美子、小泉孝太郎が決定している。

■筋力が次第に失われていく難病を患う女性を藤原丈一郎が取材

藤原が取材したのは、熊本に住む山本栞奈さん(25歳)。児童養護施設で育った山本さんは、高校卒業後、筋力が次第に失われていく難病を患い、寝たきりの生活を送っている。

2020年の熊本豪雨災害の影響で、何カ月もリハビリができない時期が続き、病気は悪化。そんな時に、障がいを持ちながらも働く一人の社会福祉士の女性と出会う。病気は進行していくため、いずれは自分の声で話すことができなくなってしまうという山本さんの、全国に届けたいメッセージに迫る。

引用元:Yahoo!ニュース(WEBザテレビジョン)

山本栞奈さんは「四肢が徐々に動かなくなる進行性の病気」を患っているということは公表しているものの、病名が何か?なのまでは公表していません。本人の意向もありますが、考えられる病名としては「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」「パーキンソン病」「筋ジストロフィー症」などが挙げられます。

名前:山本 栞奈(やまもと かんな)

生年月日:1997年(※年齢は2023年で満26歳)

出身地:兵庫県赤石市

居住地:熊本県

山本栞奈さんの過酷な生い立ち、施設で育ち自立しようと自衛隊に入るも難病を発症

山本栞奈さんは兵庫県赤石市で四人兄弟の末っ子として誕生しました。何らかの事情によって両親や親戚と一緒に暮らすことが難しくなり、5歳から高校を卒業するまで熊本県内の児童養護施設で育ちました。高校時代には吹奏楽部と陸上部をかけもちするほどの活発さを持つ栞奈さん。施設で育ったことに対しては複雑な感情を持つ反面、彼女の前向きさも感じられます。

施設の友達と関わることが本当に楽しかったです。中学生くらいになって周りが分かるようになってきだすと親がいない恥ずかしさを感じるようになりました。門限とかで友達と遊べなかったりもしましたし。だけどある程度大人になって、それって自分のせいではないなと思って。父と母は必ず一人ひとりにいるから。ちょっとふとした時に私のことを元気かなとか思い出してくれればいいなと。

引用元:児童養護施設で育った25歳難病の挑戦 伝えたい思いとは|NHK|WEB特集|熊本県

そんな栞奈さんは高校卒業後は陸上自衛隊に入隊します。ここにも「早く自立したい」という彼女の想いを感じますよね。厳しい訓練が続く中、徐々に自分の身体に異変を感じるようになっていくのです。何もないところで躓く、手足に痺れやつっぱりを感じ病院に受診。それからも入退院を繰り返していったことで、自衛隊は2年で除隊せざるを得ませんでした。その後、医師からは「全身の筋力が徐々に弱まっていく病気」と診断されました。その後も症状は悪化し続けました。手足が動きづらくなって車いす生活となり、日常生活にも介助が必要になりました。「相談できる人もおらず、夢も希望も持てなかった」と当時を振り返っています。

その後も熊本県人吉市の病院に入院しリハビリに取り組んでいましたが、3年前に人吉市を襲った豪雨災害によって更に打撃を受けることに。「水害を受けてしまうことで日常が奪われリハビリも出来ない。1日中寝ていることしか出来ず、気持ちがどんどん沈んでしまった…。」栞奈さんは話します。

とある出会いがきっかけで大学入学と1人暮らしという目標をもつ

そんな栞奈さんでしたが、ある出会いをきっかけに目標を持つことになります。新たに入所した山鹿市の障害者施設での相談支援専門員との出会いでした。その方は”車いすに乗りながらも相談支援員として仕事をされている方”だったため、「自分も何か出来ないか、打ち込めるものが欲しい」という希望を持ち始めます。そこで栞奈さんは「大学に行きたい」という目標を持つことに。2021年には熊本学園大社会福祉学部に入学します。1年生の時にはオンラインで講義を受け、試験は口頭で受け、受講したすべての単位を取得しました。

身体が思うように動かせない栞奈さんにとっては大学に入学するだけでもスゴイことだと思うのですが、彼女の挑戦はこれだけにとどまりません。なんと「自分らしく生活したい」と2022年3月には熊本市中央区で一人暮らしを始めたのです。栞奈さんのように体が動かせないような重度の障害がある場合、福祉施設などに入所する人が多いのですが、それまで施設で育ったことや自衛隊などの集団での生活が続いていたこともあり、”生活を自らコーディネートしたい”という思いを持っていたのです。障害のある栞奈さんの1人暮らしへの実現は手続等が大変だったようですが、現在では7か所の事業所の協力を得ながら、ヘルパーが入浴や就寝の介助や人工呼吸器の管理をし、大学では学生アルバイトの手助けを受けながら学んでいます。

今後声を失う…栞奈さんが若い人々に伝えたいこと

昨年2022年12月に栞奈さんは主治医から「今後病状が進行していく中で喉の筋肉が弱まりそれによって呼吸が出来なくなること、呼吸を確保するためには気道を切開する手術が必要。」だと告げられました。そして呼吸をするための引き換えとして失うものが、”今後は一切自分の声では話せなくなる”ということなのです。

日々進行していく病に侵されながらも、栞奈さんは自分に出来ることを発信し続けます。今年入ってからもオンライン上ではありますが、100人以上を前にして自身の生い立ちや病気のことについての座談会を行うなど精力的に活動してきました。

「人を頼ることができるようになってほしいなと、若者に対してはそう思います。それを支えている人たちは、信頼関係を作っていくために、自分の理想を押しつけるのではなくて、支えられる側が望みたいものが何かをきちんと聞いて寄り添い続ける、支援をし続ける。その継続が本当に大切だと思っています。継続して話を聞いてあげることで、ああ私に興味があるんだなとか、私を心配してくれてるんだなと思う、そして安心材料になるかなと私は思います」

引用元:児童養護施設で育った25歳難病の挑戦 伝えたい思いとは|NHK|WEB特集|熊本県

施設で育ってきたからこそ、若くして難病になってしまったからこそ栞奈さんの言葉が心に沁みると思います。日々進行していく病状の中においても、希望を持ちながら生きる栞奈さんは本当に素晴らしい人なのだと思います。

 

 

 

 

 

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