柴田晋太朗【24時間テレビ】のwiki!!元サッカー選手で現在はフットゴルフ選手

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人物

2023年8月26日(土)と27日(日)に毎年恒例の日本テレビ系「24時間テレビ46」が放送されます。

ジャニーズジュニアの「なにわ男子」がメインパーソナリティーを務めることになるのですが、その中でメンバーの長尾謙杜さんが企画した「骨肉腫になった少年 仲間と決めた奇跡のゴール」が放送されます。内容は”将来を有望されていた少年がある日突然病気になってしまい、過酷な闘病をしながらも夢を追い続ける姿”が報じられます。

今回は過酷な闘病にもめげずに戦い続けるサッカー選手の柴田晋太朗さんについて気になったので調べてまとめてみました。

 

 

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柴田晋太朗【24時間テレビ】はサッカー選手で病気は骨肉腫!?

8月26日(土)、27日(日)に放送される「24時間テレビ46」(日本テレビ系)にてメインパーソナリティーを務めるなにわ男子・長尾謙杜が「骨肉腫になった少年 仲間と決めた奇跡のゴール」の企画を担当することが分かった。

2023年の「24時間テレビ」のテーマは、「明日のために、今日つながろう。」。メインパーソナリティーになにわ男子、チャリティーパーティーに芦田愛菜、有働由美子、小泉孝太郎が決定している。

■「奇跡のゴール」までの道のりを長尾謙杜が取材

長尾が取材したのは、柴田晋太朗さん。柴田さんは3歳からサッカーを始め、夢は「世界一のサッカー選手になること」。小学3年生で横浜F・マリノスのジュニア部門に加入し、将来を有望視されていた最中、高校2年生の時に右上腕骨肉腫を発症した。

過酷な闘病生活を乗り越え、公式戦で復帰を果たそうとしたその直前に、肺への転移が判明。抗がん剤の副作用がある中で、柴田さんはチームメイトにその事実を隠したまま試合に臨むことを決意。そのまま迎えた復帰戦である出来事が起こる。

サッカーがつないださまざまな人の支えで生まれた「奇跡のゴール」までの道のりを、長尾が取材。現在の夢についても伺った。

引用元:Yahoo!ニュース(WEBザテレビジョン)

名前:柴田 晋太朗(しばた しんたろう)

生年月日:1999年

出身地:神奈川県鎌倉市

居住地:厚木市寿町在住

職業:元サッカー選手、現フットゴルフ選手

経歴

3歳の頃から本格的にサッカーを始める
小学校3年生で横浜Fマリノスプライマリーに入団
中学進学と同時に地元の名門FC厚木ドリームスに入団
(3年間で関東大会出場、個人としても神奈川県代表に抜擢)
高校では日大藤沢に進学(全国インターハイ準優勝、神奈川県高校選抜の主将として海外遠征も経験)

サッカー中心の人生を過ごし、将来を有望された選手だったのです。

しかしその一方で、高校2年生の時に上腕骨骨肉腫を発症。一度は克服するも肺にも転移。治療には約2年間を費やす。現在までも経過観察を含めがんと闘病中。

 

若くして発症した骨肉腫、治療は過酷そのもの

将来は有望なサッカー選手か…と思われた矢先の高校2年生の時に骨肉腫であることを宣告された晋太朗さん。若いこともあり進行も早いため、治療は過酷そのもの。2年間の治療生活を通して置換手術1回、肺転移による肺切除3回…とかなりのダメージを負ってきました。手術の後遺症もあり、現在の晋太朗さんの肺は健康な人の6割しか残っていません。また、治療をしていく過程での副作用もあり、自分の身体に薬物が合わずアレルギーを起こして一時危険な状態になるなど予想外のことも起こったと言います。

辛い治療の中でも日常生活を楽しむ気持ちを忘れないこと

骨肉腫と診断されてから治療がメインの生活を送ってきた晋太朗さんでしたが、治療だけに趣を置くだけでなく、学生としての生活を楽しむことも忘れてはいません。治療と治療の合間にカナダへの修学旅行に行ったり、抗がん剤を打ったその足で練習に参加したり、行ける日に学校行ったり…と自分の体調と相談しながら楽しい時間もたくさん過ごしました。

嬉しかった仲間の想い、病気になっても変わらないこと

治療そのものは苦しくて辛い出来事になってしまいますが、そんな中でも晋太朗さんの抗がん剤治療が始まる前に仲間の嬉しいサプライズがあったと言います。同学年のチームメイトがお見舞いとして訪れた際に、今後髪がなくなるであろう晋太郎さんにサプライズで「全員坊主」にして登場してくれましたのです。そんな彼らを見て「こんなことしてくれたらもう死ねないやん!やるしかないな」と気持ちを動かされた時のことは今でも忘れていないと話します。

晋太朗さんが思うのは「今まで自分に対して関わってくれた人たちは皆、自分が病気になる前となってからも誰一人として接し方が変わらなかったこと」であると語ります。感謝と支えで人間は成り立つ事を改めて感じた時間でした。

プロサッカー選手を断念…その中で見つけたフットゴルフへの転向

がんの転移によって肺の4割もの部分を切除しなければならなかった晋太朗さん。サッカーをするには走り続けられるスタミナが必要になります。そこに通常の人の6割しかない肺での状態でサッカーをすることの現実を突きつけられます。「このままだと安全にサッカーをすることも出来ない」という思いが頭をよぎり、でもそれでも「諦めきれない…」という複雑な思いで日々を過ごしていました。

そんな時に出会ったのが「フットゴルフ」という競技でした。名前の通りの競技なのですが、ゴルフの要素とサッカーの要素で構成されており、ゴルフのラウンドをサッカーの蹴りで行う競技になります。サッカーと異なり走り続ける競技ではないですが、蹴りの要素があるためサッカー経験者の要素も活かされる部分があります。肺切除による影響で走り続けるスタミナ面に不利な晋太朗さんにとってはピッタリな競技と言えます。

フットゴルフの現実と今後の展望

サッカーからフットゴルフへの可能性を見出した晋太朗さんでしたが、フットゴルフもそう簡単な世界ではありませんでした。フットゴルフの海外遠征に参加したのですが、結果的にトップ選手との実力の差を知ることになったと言います。そこで、晋太朗さんは技術面だけでなく自分の内面と向き合うことにしたのです。その後も積極的に海外の試合に挑戦し、努力の結果ワールドカップの代表選手に選出されるまでになりました。

晋太朗さんの今後の展望として「頑張って闘病している人やあ(何かを)頑張っているけど、なかなか上手くいかない人々に対して感動や希望を届けられる存在になりたい」と話します。

 

 

 

 

 

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