シャルロットケーキ【グレーテルのかまど】シャーロット王妃の帽子が由来??

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文化

「シャルロットケーキ」というケーキをご存じでしょうか??

スイーツに詳しい人であればご存じの人もいらっしゃるかと思いますが、多くの人は写真や本物のケーキを見れば「知ってる!!見たこと、食べたことある!」という人も多いと思います。

「シャルロットケーキ」はビスキュイを回りにトッピングしたとっても可愛らしいケーキですが、その由来は古く、とある王妃が愛した帽子をモチーフに作られたと言われています。今回はそんなシャルロットケーキの歴史や由来について調べてまとめてみました。

 

 

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シャルロットケーキとはどのようなケーキなの??

シャルロットとは、女性の帽子に見立てて作ったお菓子で、パン、スポンジケーキ、クッキー、ビスケットを回りに囲み、中味はフルーツやチョコレート、ババロア、カスタードクリーム、生クリーム等を詰めて食べるのが一般的なケーキです。

お皿が帽子のつば、ケーキが頭の部分を現しているそうで、リボンを巻いて飾る方法が現在のシャルロットケーキの最もポピュラーなデコレーションの仕方になっています。 元々は熱いケーキだったようですが、19世紀初頭のパリの料理人のアントナン・カレームという人が、ロシア皇帝アレクサンドル1世に仕えていた時、ババロアを詰めた冷やしたシャルロットを考案したとも言われています。

引用元:macaroni「ビスケットに囲まれたスイーツ!シャルロットケーキの海外アイデアレシピまとめ」

見た目が可愛らしいのはもともと帽子をスイーツに見立てたものであったからのですね。そしてケーキの名前にもなった「シャーロット」はとある女性の名前が由来になったとされています。

 

シャルロットケーキの由来と歴史~シャーロット王妃の愛した帽子が起源~

シャルロットケーキの「シャルロット」という名前の由来は諸説あるようですが、グレートブリテン王国ジョージ3世の妻で王妃でもあるソフィア・シャーロット (Sophia Charlotte) の名前に由来しているという説が一番有力のようです(※「シャルロット」はフランス語読み)。

当時シャーロット王妃は流行のドレスを着て、ギャザーと羽の付いた大きくて厚みのある帽子を好んでいました。その帽子の形にこのお菓子が似ていたため、名付けられたとされています。

19世紀当時作られていたシャルロットは現在のものとは似ても似つかない味だだったようです。

その作り方は、細かく切ったパンを溶かしたバターに浸し、それを型の側面と底に並べ、その内側にりんごのコンポートを詰め、ライムとシナモンで香り付けして、釜に入れて焼くというものでした。

生地を土台にするという点では同じですが、焼成するなど現在のシャルロットとは全くの別物です。

その後、カレームがシャルロットのレシピを変えていきます。

彼は土台のパンをビスキュイ・ア・ラ・キュイエールに変えました。ビスキュイを細長い形にしたのも彼自身です。(リンク)

さらに、中身をりんごのコンポートからバニラ風味のババロアチーズに置き換えました。チーズはソースにとろみをつけるために加えられたのではないかと考えられます。当時はまだゼラチンは発明されていませんのでソースを固める方法としてチーズを用いました。

さらには冷蔵設備もありませんので、シャルロットは食べる直前まで氷水の中で40分冷やしていました。

現在のように生地を焼かないというのを考案したのもカレームです。

さらにカレームはシャルロットのレシピのバリエーションを広げ、ビスキュイ・ア・ラ・キュイエールの代わりにクロケットを用い、バニラのブランマンジェを詰めたフランス風シャルロット charlotte à la française、ラム酒に浸したスポンジ生地とプロンビエールと呼ばれるクリームで作るイタリア風シャルロットを創りました。

ババロアが登場してきてから、シャルロットはさらに進化をしていきます。

最初のババロアはババロアチーズというものでしたが、オーギュスト・エスコフィエ Auguste Escoffier によりモスコヴィットというソースに変えました。さらに、クリームを泡立てたクリーム(クレーム・シャンティイ)や果物のピュレに変えました。

1976年、ガストン・ルノートル Gaston Lenôtre は濃いクレーム・アングレーズをベースにし、クリーム・シャンティイで濃厚さを加え、ゼラチンで固めることを考案しました。いちごで飾りつけた苺のシャルロット Charlotte à la fraise を作りました。

それ以来、シャルロットのレシピは変わっていません。

引用元:旅が楽しくなるお菓子案内 フランスおかし「シャルロットの歴史と由来」

私たちに馴染みのあるシャルロットケーキになるまでにこのような歴史の過程があるのですね。

 

シャーロット王妃とはどんな人??~芸術と自然を愛した多趣味な女性~

さてシャルロットケーキの名前の由来がイギリス王妃のシャーロットが愛用していた帽子だったのですが、シャーロット王妃はどのような人物であったのでしょうか。実は彼女は非常に多趣味な人物であったとされています。

上記で述べた通り、シャーロット王妃はイギリス王国のジョージ3世(1738-1820)の妻でした。シャーロット王妃自身はドイツ出身の貴族でしたが、当時そこまで強い力を持つ貴族ではなかったようです。あまり妻から政治に関することに口出しされたくなかったジョージ3世、結婚と同時に初対面で出会った二人でしたが、相性はとても良く生涯において9男6女の15人の子供をもうけました。ジョージ3世はその生涯において愛人を決して作らず、シャーロット王妃のみを愛した人物でもありました。

シャーロット王妃は夫の政治に口出しすることはなく、一方で芸術や文化・自然などにとても興味を持ち才能あふれる人物であったようです。

音楽面では、王妃自身が、大バッハの息子ヨハン・クリスチャン・バッハに音楽を習っていたこともあり、バッハ親子や幼少のモーツァルトのパトロンにもなっています。実際、8歳のモーツァルトは、3曲のオペラをシャーロット王妃に献上しています。

シャーロット王妃の関心は、音楽に留まるものではありませんでした。その興味は、陶磁器へと向かいます。

シャーロット王妃は、1759年に創業したばかりのウェッジウッド社に注目し、その当時完成したばかりの「クリームウェア」を購入します。これはジョージ3世の関心も引き、夫婦そろってウェッジウッドの虜になったのです。

ウェッジウッドを大変気に入ったジョージ3世とシャーロット王妃は、ウェッジウッドを王室御用達の陶工に認定し、「クィーンズウェア」の称号を与えたのでした。

これを機にウェッジウッド社は、イギリス国内は勿論、アメリカやロシアなどからも注文が殺到し、瞬く間に世界のウェッジウッド社へと変貌を遂げたのです。

芸術を愛する同士、通じるものがあったのか、シャーロット王妃は、フランスのマリー・アントワネット王妃とも親密であったそうです。

実際に、顔を合わせたことはありませんが、手紙を通じて交流し、1789年のフランス革命の際には、心配を打ち明けたマリー・アントワネットに対して、イギリスに亡命用の家を用意し一家を受入れる準備もしていたそうで、マリー・アントワネットの処刑に際しては、大変悲しんだと言われています。

また、シャーロット王妃は、芸術面だけでなく、自然をこよなく愛する方であったようで、現在では、ロンドン郊外で市民の憩いの場ともなり、その膨大な資料からユネスコ世界遺産にも登録されている王立植物園「キューガーデン」も、このふたりの宮殿に併設された庭園がスタートとなっています。

農業を擁護し、その質素な暮らしぶりから、「ファーマー・キング(農業王)」とも呼ばれたジョージ3世と嗜好が似ている点も、夫婦仲の良さの秘訣だったのかも知れませんね。

引用元:シャーロット王妃|芸術と自然をこよなく愛し、「ウェッジウッド」を見出したドイツ出身の王妃

このように、シャーロット王妃はとても多趣味で多彩な人物であったことが分かります。またかの有名なマリーアントワネットとも交流があったとは驚きですね!

きっとファッションにおいてもキラリと光る何かがあったのでしょうね。それを見た人が「シャルロットケーキに似てる‼」とインスピレーションを感じたのだと思います。

 

さていかがでしたでしょうか??もしシャルロットケーキを食べることがあれば、このケーキの名前の由来やシャーロット王妃のことを思い出しながら召し上がってみてはいかがでしょうか??

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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