フランス・プロヴァンス地方発祥の「ムスティエ焼き」をご存知でしょうか?
おしゃれで可愛らしいムスティエ焼のお皿はテーブルの上で華やかさを演出するだけでなく、作った食事もおいしく見せてくれる。
今回はこの「ムスティエ焼き」について調べてまとめてみた。
ムスティエ焼きとは?陶器のアンティーク皿はいつ生まれたの?
ムスティエサントマリーに行きました。 pic.twitter.com/KccGihcoT8
— えみ (@dbj3uFWEAKvYuTD) June 23, 2019
南フランスにあるマルセイユや映画祭で有名なカンヌにほど近い場所に「ムスティエ焼き(陶器のお皿)」が生まれた「ムスティエ=サント=マリー」という、人口わずか700人ほどの小さな村がある。
現在この村はムスティエ焼き文化の中心地として栄えると共に「フランスの最も美しい村」として登録されている(画像上)。
そしてこの小さな村でムスティエ焼きが誕生したのは今から約350年ほど前の1668年である。イタリア人修道士であったピエール・クレリシーがムスティエ村に移り住み、そこでファイナンス焼き(北イタリアのファエンツァが由来)という陶芸技法を村人に伝えた。そこから当時のムスティエ=サント=マリー村でファイナンス焼きを基礎としながら、独自の陶芸技法が生まれそれが「ムスティエ焼き」と呼ばれるようになった。
時同じくして時の皇帝ルイ14世は晩年にスペインとの戦争を控えていたため、無駄な財政を抑えるよう国内に命じた。その中には金や銀、錫合金製の食器使用が規制され代わりに陶器が使用されるようになった。貴族の中でも浸透していった。
そして脚光を浴びることになったのが「ムスティエ焼き」であったのだ。金や銀食器時代のモチーフはそのままで、陶磁器でありながらエレガントさを持つムスティエ焼きは王室でも納められるようになった。その結果、ヨーロッパ中で大流行し陶器製食品の大量発注がなされ、最盛期には14の工房があったという。
このように突如として脚光を浴びたムスティエ焼きであったが、終焉も突如としてやってきた。約170年あまり続いたムスティエ焼きであったが、1800年代後半に今度は英国の陶磁器ブームがフランスで起こったことでムスティエ焼きを造っていた釜が次々に閉鎖され、1874年に最後の工房が閉鎖された。
それから50年あまり経過した1927年に「村おこしの一環」としてムスティエ焼きが復活。
現在では11の工房がムスティエ焼きを造り、世界中の陶磁器ファンが村を訪れているという。
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