【鬼滅の刃】「幸せの箱」哲学とは?善逸が考える獪岳の幸せの箱には穴が空いてる?

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社会現象となっている「鬼滅の刃」。連載は終了し、単行本は2020年の年末で23巻発売にて話が完結しましたが、アニメ放送の方はまだ半分も終了していないため、今後も私たちに楽しみと話題を提供してくれることが期待されます。

「鬼滅の刃」と言えば、心に残る名シーンや名言などが結構多くありますよね。

社会現象となったのも、そのような場面が多いことが理由に挙げられると思います。子供から大人まで幅広い世代で楽しめる作品となっています。

今回は最終局面である無限城で善逸と新・上弦の鬼の「陸」となってしまった元兄弟子獪岳の闘いの場面で出てきた「幸せの箱」の哲学について気になったので調べてまとめてみました。

 

 

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鬼滅の刃に出てくる「幸せの箱」の話とは?獪岳の幸せの箱には穴が空いてる?

「幸せの箱」の話は本編の17巻第145話に出てきます。

善逸と獪岳は元鳴柱である桑島慈悟郎の弟子でありました。最初に慈悟郎に弟子入りを志願したのは兄弟子であった獪岳であり、後に弟子入りしたのが善逸になります。本当の兄弟ではありませんが、共に暮らし修行してきました。

善逸は修行が辛すぎて泣きわめいたり逃げたりしていたので、そんな善逸を見て獪岳は善逸を見下していました。決して仲が良いとは言えない二人でしたが、それでも桑島慈悟郎は二人に自身の技の継承を行うつもりでいました。

しかし、獪岳はそれが気に入らなかったんですね。本編の解説にも書いてありましたが、自分だけが特別扱いされないことが納得いかなかったのです。

確かに善逸は泣き虫で臆病で女好き…とヘタレ要素満載ですが、本当はとても優しくて強いことを内に秘めた少年でもあります。

炭治郎が鬼である禰豆子を連れていた時も、最初から分かっていたにも関わらず、「きっと何か理由があるんだろう」と問い詰めることもせず、伊之助が禰豆子の箱に切りかかろうとした時も必死で守り抜こうとしていました。

獪岳は「自分だけ~」という思いが強すぎて、善逸の本当の優しさに気付くこともなく、物事の上辺だけしか見えていないように感じます。

自分のことしか目に見えていない結果、日ごろから不平不満が多く、満たされない気持ちを抱えたままの獪岳はまさに「『幸せの箱』に穴が空いている状態」と言えるでしょう。

 

 

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答えは兪史郎が語っていた!!~幸せは自分の心が決めるもの~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

善逸が自ら作り出した技である「雷の呼吸 漆の型 火雷神」によって獪岳の首が瞬時に切られた時、愈史朗が出てきて獪岳に言います。

そこに全てが語られているんですよね。

「人に与えない者はいずれ人から何も貰えなくなる」

「欲しがるばかりの奴は結局何も持ってないと同じ」

「自分では何も生み出せないから」

これを読んだとき、「愈史朗、良いこと言うじゃん!!」と思いました(笑)

獪岳は目の前にある幸せに気づくこともなく、いつも満たされない気持ちでいたのでしょう。

寺の金を盗んだり、鬼に「自分の命と引き換えに他者を犠牲にしてもいい」と取り引きしたり、生きるためには泥水を啜ってもいい、黒死牟に出会った時も生き延びる為にはプライドを捨てて頭を下げたり…と、獪岳なりには精一杯生きていたのかもしれません。しかし人は一人で生きている訳ではありません。必ず誰かとつながりと持って生きているはずなので、それを無視して自分だけ助かろう、「自分だけが良ければそれでいいんだ」という考え方は身勝手過ぎますよね。

結局、愈史朗に「欲しがるばかりの奴は結局何も持っていないのと同じ」と言われてしまい、最後にはたった一人で死を迎えることになったしまったのです。善逸は助かったのに。それは元は同じ技を継承する兄弟でありながら、獪岳は自分の損得しか考えて生きていないのに対し、善逸は自分のことだけでなく、炭治郎や周りの仲間を大切にしていたからなのです。これも愈史朗が言っていた「人に与えない者はいずれ人から何も貰えなくなる」ということなのでしょう。

善逸は兄弟子である獪岳が鬼になったことで「ふたりの道は分かれた」と言っていますが、生き方そのものが違う二人の道もまた二つに分かれたと言えるのでしょう。

岳は剣技を学ぼうとひたむきに努力していたことは善逸も認めています。しかし、獪岳は人としての優しさや感謝などが欠落し自己中心的で冷淡な人間に感じます。対する善逸は一見すると泣き虫で臆病ですが、人としての温かみや優しさを持っている少年です。二人の性格は正反対のようにも見えます。

 

「幸せの箱」は私たちの日常にもある!!今ある幸せに目を向ける

「鬼滅の刃」の善逸と獪岳の戦闘シーンに出てきた「幸せの箱」。

これは「鬼滅の刃」だけの話ではなく、私たちの日常や人生にも言えることだと言えます。

私たちは「あれもないこれも持っていない…」と持っていないものに焦点を当てがちで、「今あること、つまり満たされている」ことは忘れがちです。

何も持っていない人はこの世にいないと思います。単純なことで良いのです。

例えば「一日三食ご飯が食べれる」こととか、「家族みんな健康で元気」であるなら、それはとても素晴らしいことではないでしょうか。世の中にはご飯も満足に食べられない、家族が病気がちだ…という人だっているのです。自然災害が起こって日常が奪われれば、何気なく平和に過ごせる日々がとても大切であったことに気付かされますし、病気になった時に初めて健康であることはかけがえのないことなんだったと気付かされると思います。

幸せは目の前にあるものです。自分は満たされていると信じ、人に優しさを配れる人間でありたいものですね。

 

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