O157の原因は井戸水だった!?しらさぎ幼稚園の食中毒事件の真相とは?

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事件

「O157」といえば、食中毒の中でも人を死に至らしめる毒性の強い病原菌である。

今でこそその名が世に知られているのだが、それはここ数十年でO157の食中毒事件が日本国内で起こったことで認知度が知られるようになったである。

今回はそんなO157の食中毒を起こしてしまった事件とその原因と真相をまとめてみた。

 

 

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腸管出血性大腸菌O157とは?

「大腸菌」といえば私たちの大腸に生息し、健康番組などでもしばし取り上げられている。

これらの大腸菌はなんら問題ないのだが、大腸菌と形が似ていても一部病気を引き起こしてしまう大腸菌が存在する。それが「病原性大腸菌」と呼ばれてる大腸菌だ。

もちろん、この病原性大腸菌は私たちの大腸には存在しない。

汚染された肉や原因となる感染源が手などを介し、口から体内に入ることで病原菌が活発化していく感染していく。

1990年に埼玉県浦和市で起きたしらさぎ幼稚園での食中毒事件とは?

今から約30年近く前の1990(平成2)年10月初旬、当時の埼玉県浦和市内にあったしらさぎ幼稚園で集団食中毒事件が発生。園児ら 血液混じりの下痢や腹痛、発熱などの症状を訴えた。

当時のしらさぎ幼稚園の園児のうち55人が病院で受診し、うち20人が各近隣の病院へ入院した。

そのうちの8人が腸管出血性大腸菌O157の重篤症状である尿毒症を発症し、うち2人が死亡するという最悪の結果となってしまった。いずれも当時まだ4歳と6歳の幼い園児らであった。

当時、日本国内でO157はあまり知られていなかった。海外では1982(昭和57)年にアメリカのミシガン州でハンバーガーの牛肉にO157が混入していたとして集団での食中毒が発生したことで注目されていた。

しかし日本での集団発生事案はそれまではなく、死亡例もこの時が初めてであった。

O157の原因は井戸水だった!?集団食中毒事件の真相とは??

幼い園児らの命を奪った原因は何であったのか…最初に疑われたのは園児らが昼食に食べてた給食施設であった。当時のしらさぎ園には給食施設はなく、給食は外注業者から頼んでいた。すぐに調査されたが、O157は検出されなかった。

続いて疑われたのは園児らが飲んでいた飲料水であった。

当時しらさぎ園では、井戸水を飲料水として使用していた事実があった。県の衛生部が調査したところ、この井戸水からO157が検出され同時に園児の便からも同じ菌が検出された。これを受けて厚生省は「しらさぎ園での集団食中毒は感染源は井戸水からである」と発表した。

さらに詳しく調査した結果、この井戸水の近くに汚水タンクがあったのだが汚水タンクのつなぎ目には亀裂が発見された。その亀裂部分からO157を含む病原性大腸菌が地中に漏れ出たことで、近くにあった井戸水に混入してしまったのだ。

さらに問題だったのは、しらさぎ幼稚園は井戸水を埼玉県の許可を得ることなく使用していたのだ。

3年前の1987(昭和62)年実施された保健所の検査では、井戸水から水道法の基準を超える最近が検出されており、保健所は水道水に切り替えるなどの指導をしていた。にも関わらず園はこの指導を守らずにいた。幼稚園や学校などの集団で井戸水を使用する際は、年に数回の水質検査をしなければならない決まりがあるのだが、しらさぎ幼稚園は井戸水の使用届け出を提出していなかったため、規定の検査も当然受けていなかった。

このことから当時のしらさぎ園の園長に対してその責任が科せられた。

平成8年にしらさぎ園集団食中毒事件の判決が園長に言い渡された。

業務上過失致死罪に問われ、禁固2年、執行猶予4年の有罪判決が下された。

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