北野さきの生い立ちや名言って?wikiプロフィールと経歴!!知られざる晩年

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芸能

お笑い界の大御所としてさまざまな分野での活躍をされているビートたけしさんこと北野武さん。

最近では長年連れ添った妻と離婚し、その莫大ともいえる財産分与でも話題になった。

たぐいまれなる才能を発揮し芸能界の重鎮とも言える北野武さんであるが、そんな北野武さんを育てた母親とはどのような人物であるのかが気になった。

今回はそんな天才ともいえる北野武さんを産んだ母親の北野さきさんのことについて調べてまとめてみた。

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北野さき(北野武の母親)の生い立ちと名言とは??Wikiプロフィール!!

北野武さんの母親である北野さき。旧姓は小宮さき。小宮さきは明治37年に千葉県の農家で生まれた。

もともと裕福な家であったが父親の仕事が上手くいかなくなり破産。まだ14歳のさきであったが、奉公人として東京の大きなお屋敷に働きに出ることになった。

さきに与えられた仕事は便所掃除だった。料理や裁縫などは出来なかったからだ。

他の先輩である奉公人は裁縫や料理が出来る中、若くして母や兄弟と生き別れたさきに対してそれらを教えてくれる人はいなかった。

「自分はなにもとりえがないから、毎日トイレ掃除ばかり…」

「悔しい…」

しかし、そんなつらい状況でも決してめげたりしなかった。

さきはこの状況から抜け出すために、休み時間になると配られるお菓子と交換条件で先輩の奉公人から教えてもらうことにしたのだ。

この経験からさきさんは後に子供たちに対し、

人間は意地がなくちゃだめだ

と教えていたと、のちに長女の安子さん(北野武さんの姉)が語っている。

辛い状況の中でも投げ出したりせず、知恵を絞り前に進むことで人は強くなる…

さきさんの実体験から生まれた名言だ。

 

その後19歳になったさきは、のちに北野性を名乗ることになる北野うしという人物に出会う(後の北野武さんの父方の祖母)。

さきが持っている芯の強い性格を気に行ったうしはさきを嫁に誘った。さきは裁縫の腕も買われたことで洋品店で働くことになった。

そして大正15年にのちの北野武さんの父親となる正端菊次郎(しょうずいきくじろう)と結婚した。

しかしこの菊次郎、人が好過ぎる人柄で頼まれても断ることが出来ず、金勘定に関しては無頓着。それが原因で結婚から5年後に洋品店を潰してしまった。その後菊次郎は塗装職人になるも、相変わらずのお人良しであったという。

そして昭和22年に北野家に四男坊の武が誕生する。

母であるさきは、子供たちに勉強することを強く望んでいた。

さきは自分の経験から「手に職を持つことの大切さ」を痛感していたという。

母さきの信念は、

貧乏だというのは教育がないから貧乏

 

お金はいくら持っていても人にとられてしまったらそれまでだけど、教育というにはどんなに人が取ろうと思っても取れるものではない

という強い思いがあった。

当然、息子の武にも勉強することを望んだ。

そして武は明治大学工学部機械科に現役で合格。しかし、武は大学3年生で退学し家出をする。

そんな息子の武に対して怒りがおさまらなかった母さきは「お前なんか子どもじゃない!絶対帰ってくるな!」と憤慨してしまった。

しかし、さきはその後も学費を払い続け、武がいつでも戻れるようにしていたという。

武は漫才師になることを夢見てデビュー。しかし、最初から上手くいかなかった。

だが、そんなことで諦める武ではなく、やはり武を繋ぎとめたものは「意地」だった。そこから自身の努力で這い上がっていったのだ。

 

親子で大事にしたいと思うものは違っても、最後に残るものは「意地」であり、それぞれの信念になっていることに違いはない。

 

北野さきの知られざる晩年とは??お金の無心も息子のためだった!?

母親のさきさんは1999年に95歳で亡くなられている。

既に亡くなってから20年経過しているのだが、当時の葬儀の場では人目も気にせず号泣する武さんの姿があった…

 

 

生前さきさんは、武さんが芸人として売れるようになると、「病院代をくれ」「今までお前を育てた費用だから」「水道代の修理をくれ」と母さきさんが会いに来るたびに数十万のお金を要求するようになっていた。

かつては教育熱心で優しくも厳しくもあった母親はすっかり跡形もなく…息子武さんも「この因業ババアめ!」と言ったこともあった。

しかし、その行動の裏に母の愛情があることを亡くなる2年前に知ることになる。

亡くなる2年ほど前、さきさんは体調を崩し軽井沢の病院へ入院することになった。息子武さんもお見舞いへ行き、相変わらずの憎まれ口を言われ「まだまだ元気じゃないか。」と感じていたという。その見舞いの帰り道に姉から武さんへ「母が渡して欲しい」と紙袋を渡してきたという。

中には1冊の通帳が入っており、名義は武さん本人。なんとさきさんは今まで自分の年金と武さんから要求したお金をコツコツ貯めていたのだ。その額は1000万円近くにもなっていたという。1円も手を付けておらず、思わずそれを見た武さんは涙が止まらなかったという。

母さきさんは武さんの芸人という仕事はとても不安定であることを心配した上で、失敗しても大丈夫なようにコツコツ溜めていたという。

兄弟たちからも「お袋はいつもお前のことを心配していた」と聞かされていた。

自分が嫌われても、息子が将来困らないように陰で支えていてくれていたとは…母さきさんの深い愛情を知ることになったのだ。

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