忠犬タロー【石岡市】の話とは?物語が映画化!!少女(成島亮子)を待ち続けた!!

人物

「忠犬」と聞けば「ハチ公」が有名ですよね。駅の前で亡き主人の帰りを待つ姿は誰もが心打たれる場面であると思います。渋谷駅にも銅像があることで有名です。

しかし忠犬は渋谷だけでなく、茨城県石岡市でも同様の物語があり、帰らぬ主人の帰りをずっと待ち続けた犬がいるようです。茨城県石岡市の忠犬は「タロー」という愛称で親しまれていたようです。今回はこの忠犬タローについて気になったので調べてまとめてみました。

 

 

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主人の帰りを待ち続けること17年…「忠犬」石岡タローの物語とは?

ことの始まりは1964(昭和39)年茨城県石岡市立東小学校に迷い込んできた1匹の雑種犬…それが「石岡タロー」でした。当時小学校でタローを飼って面倒を見ていた。

しばらくすると、タローは不思議な行動を起こす。朝と夕2回必ず石岡駅に現れ、待合室に座り改札口から出てくる客をじっと見つめていた…しばらくして待ちくたびれると来た道を引き返していった。学校から駅までは約2kmの距離。犬にとっては散歩にはちょうど良い距離かもしれないが、タロー単独での行動。しかし、タローは車通りの多い国道では横断歩道を渡り、信号も赤ならば待機して待つという賢さを持ち合わせていた。

賢いタローは学校の先生や生徒から愛されていた。現在だと犬を学校で買うどころか、放し飼い状態にするにのはちょっと難しいであろう、しかし当時は寛容であったようだ。タローはいつも教頭先生の机の下にいたのだ。タローは給食の時間になると、生徒から飲み残しの給食をもらっていました。また、学校だけでなく、地域でも愛されていたタローは駅前の定食屋さんや蕎麦屋さんからご飯を分けてもらうこともあったという。

1972年に校長に赴任してきた橋本千代寿さん(88)は、タローとの8年間の思い出を大切にしている。鎖でつながれていないタローを見た保健所から注意を受けたこともあったが、「黙認してほしい」と嘆願した。保健所長は黙っていた。橋本さんも含めた地域の人々も「主人を思って駅まで毎日通っている」ということを知っていたので、鎖でつなぐことは考えられなかったと言う。橋本さんは保健所の指導に背いたことをいまも後悔していない。

橋本さんが退職した翌年の1981年の夏、タローは死んだ。20歳近いとみられる。全校生で追悼式をして土浦市内の寺に葬った。

晩年のタローは一日中、職員室で寝ていた。しかし、時間になると起き上がり、学校を出て行った。駅通いは動けなくなるまで続いたというが、最後まで「主人」が現れることはなかった…。

 

45年後に明らかになった真実!!コロが待ち続けた主人の少女とは??

帰らぬ主人を待ち続けた忠犬「石岡タロー」はいったい誰を待っていたのでしょうか…?

当時の愛称で呼ばれていた「タロー」は小学校に来る前は「コロ」の愛称で小さな少女に買われていた仔犬だった。少女の名前は成島亮子さん。当時彼女はまだ5歳。「タロー」こと「コロ」は1963年に生後4カ月で成島家にやってきた。当時自宅から200mの鹿島鉄道(07年に廃線)玉造町駅で電車に乗り、幼稚園のある11駅目の石岡駅へ通っていた。

コロはやはり賢い犬なのか、玉造町駅への送迎は家業が忙しかった両親に代わって、コロがしてくれた。毎朝、一緒に電車に乗り込んできた。成島さんが座席に着いて、頭をなでてやると、電車を降りて引き返していった。帰りは駅の待合所で待っていた。

とっさに言ってしまった言葉を最後に二度と会うことがなくなってしまった

そんな日常が変わってしまったのが翌年の1964年のこと。いつものように電車で通っていたのだが、ある朝頭をなで忘れたのか、コロは電車を降りずに石岡駅まで付いてきてしまう。「お嬢ちゃんの犬?」と、改札口で駅員に聞かれた。犬を乗せたことを怒られると思って首を振った。コロは追い払われた。それが最後になった…。

成島亮子さんはショックで熱を出し10日間寝込んだ。父親も石岡駅周辺へ6回も捜しに行ったが会うことは叶わず。コロは教室をのぞきに3度幼稚園に現れた。だが、園が捕捉しそこねてしまい、その後の消息はつかめずにいた。

そして「タロー」はとある小学校へ迷い込み、主人の帰りを信じながら駅通いを続けた

その年1匹の犬が石岡東小に迷い込む。しばらくすると、朝夕の石岡駅通いを始めた。一方、成島さんは翌年に卒園すると石岡駅を使うこともなくなり、その犬を見ることもなく、そして月日は流れに流れ45年後のある日…。

 茶色いオスの雑種、垂れた耳、剛毛。それに同小創立50周年記念誌に載った犬の写真。「タロー」と呼ばれたその犬こそ、コロに間違いないと、成島さんと両親は確信している。

引用元:朝日新聞社

コロは1981年の夏に死ぬまで石岡駅に通い続けた。ずっと自分を捜していたと思うと、胸が痛む。「あの時、駅員にウソさえつかなければ」。45年間抱き続けてきた自責の念にさいなまれる。もっと捜せばよかったと、改めて思う。「でも、コロがみんなに愛されていたとわかり、救われる思いがします」と話す。

 

 

 

 

 

 

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