宝塚と言えば宝ジェンヌとして輝かしい舞台で活躍出来る一方、狭き門である学校を卒業しその中でもスターになれる人はごく一部であると言われています。
そんな輝かしい経歴を持った女性であれば、その後も芸能界等での活躍がしやすい環境であると思われますが、そんな中でも全く異なる業種に飛び込む方もいらっしゃるようです。
それが元宝塚ジェンヌで男役だった遥海(はるみ)おおらさんこと遠山昌子さんです。
遠山さんは宝塚を退団したのちに赤城フーズのカリカリ梅の社長に転職されています。
宝塚の女性は退団した後は女優やタレントに転身しているイメージが強いですが、なぜ異業種に挑戦したのでしょうか。
今回はそんな元宝ジェンヌである遥海おおらこと遠山昌子さんについて気になったので、調べてまとめてみました。
遥海おおら【遠山昌子】は元宝塚ジェンヌ!プロフィールをまとめてみた
赤城フーズ常務の遠山昌子さんは宙組男役、遥海おおら(86期)
《社員から「そういう考えがマリー・アントワネットだ」と言われたこともある》
「組長でなく、社長を目指します」
元宝塚・後継娘に「考えがマリー・アントワネット」の痛言:日経 https://t.co/7pLf6ZZMsf— pata (@ib_pata) May 25, 2016
名前:遠山 昌子(とおやま まさこ)
宝塚歌劇団の時の芸名:遥海(はるみ) おおら
生年月日:1979年9月26日
出身地:群馬県前橋市
身長:168cm
血液型:A型
経歴
・群馬県立前橋女子高等学校卒業
・1998年に宝塚音楽学校入学(第86期生)
・2000年に宝塚歌劇団に入団。花組「源氏物語あさきゆめみし」で初舞台。その後、宙組(男役)に配属。
・2005年に「ホテル・ステラマリス/レヴュー伝説」東京宝塚劇場公演千秋楽で退団。
・退団後、赤城フーズ株式会社に入社。2008年より常務取締役。
タカラジェンヌから老舗企業の6代目へ!!現在は赤城フーズ熱中カリカリ梅社長!
「梅ジェンヌ」
カリカリ梅の赤城フーズ6代目社長は元宙組「遥海おおら」さんこと遠山昌子さん。
宝塚大劇場のショップで飛ぶように売れてく(笑)美味しいから👍それにしても6代目社長ということは、宝塚歌劇団より歴史があるのでは⁈ pic.twitter.com/Z4CsbLt18i
— kobachi (@kobachi3) January 3, 2020
今でこそ、元宝ジェンヌからカリカリ梅の6代目社長となった遠山さんですが、なぜこのような異色の経歴を辿ることになったのでしょうか?その華麗なる経歴をまとめてみました。
もともと実家が老舗の漬物屋さんだった
遠山さんのご実家は群馬県前橋市にある「赤城フーズ株式会社」で明治26年創業の老舗の漬物屋さんなのです。現在はカリカリ梅を筆頭に梅製品や漬物各種を製造しています。
遠山さんはその会社の長女として生まれました。兄が二人いたため、「家業を継ぐ」という意識は特に持たずにいました。そんな彼女の運命を変えたのが…
宝塚歌劇団演じるベルばらを見て宝塚にドはまり!!自分も宝ジェンヌを目指すように!!
小学校5年生の時にたまたまテレビで見た「ベルサイユのばら」を見てベルばらにドはまりしてしまいます。
たまたま観たことがきっかけでしたけど、観たときにこんな世界があるのかとカルチャーショックを受けたんです。観終わる頃にはボロボロと泣いていて。録画したビデオが擦り切れるくらい観ました。
そんな最中に、前橋に宝塚が地方公演でやってくる機会があって、祖父母にお願いして観に行かせてもらったんです。そしたらもっとハマってしまいまして……。公式ファンクラブにも入会して。そのあとに天海祐希さんが演じていた「ベルサイユのばら」を東京へ観に行って、さらに宝塚が好きになりましたね
そして遠山さんが中学3年生のときに観た、宝塚の初舞台生が演じる公演を観て入団を決意します。その後、家族も応援してくれたおかげで地元の群馬から往復5時間かけて都内のレッスンへ通う日々。宝塚音楽学校も3回目までは落ちてしまいますが、4回目で見事合格しました。これも大学へ進学することと両立せずに、宝塚1本に絞って集中した成果であると言えます。
夢に見た宝塚へ!!しかし現実はシビア…そんな時に実家の家業のことを考えるきっかけが
念願だった宝塚歌劇団に入ることが出来た遠山さん。しかし現実はシビアで、自分の成績によって配役が決まってしまうという現実でした。自分がやりたかった役になれず拗ねてしまうこともあったようです。
しかしそんな状況を変えたのが先輩の言葉であったといいます。自分の最大の武器が“努力”と改めて実感し、よりレッスンに力を注いだ。その結果、入団時は32番だった成績が年々上昇し8番に。自分のやりたかった役をやれるようにもなったのです。
そんな努力で道を切り開き充実した日々を送る遠山さんの元に人生のターニングポイントとなるきっかけが訪れます。
私の祖父はカリカリ梅を作った人なんですが、すごく仕事が大好きで情熱があって、業界の発展にも尽力した方なんです。その祖父が今後の会社はどうなるんだと心配していると聞きまして。私には兄が2人いるんですけど、すでに他の道に進んでいて後継者がいない状態だったんです。
だから、このまま会社がなくなったら祖父はどう思うのだろう、カリカリ梅がなくなってしまうのではないか……と思ったとき、自分の生活の一部に『赤城フーズ』があったので、身体の一部にボコっと大きな穴を開けられた気分になって。ここで継がなきゃ、絶対後悔するな、と
宝塚をこよなく愛する遠山さん、宝塚と家業のことを天秤にかけた時に思ったことは決まっていたようです。「夢が叶えられたのは、家族の応援のおかげ」ということ。「恩返しをしたい」想いを胸に退団を決意したのです。
その後見事6代目の株式会社赤城フーズ社長に就任していくことになるのです。
↓遠山さんが開発した「梅ジェンヌ」はこちらから
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