日本でも人気のミステリー推理小説。”先が分からない展開”と読み進めていくうちに、”誰が犯人なのか?”というのを自分なりに考察していくのが面白みと言える。
また、それらを執筆する小説家らは仕事柄、「犯人はどのように考えるのか?」という犯人目線で物事を考察する機会が非常に多いと言えよう。
それらは勿論、小説家らの”頭の中の出来事”であって、実際に実行に移すことはないし、小説のトリックとして考えているだけだ。
しかし、もし現実にミステリー小説のような事件が起きてしまった時、小説家が思わぬ方向で事件を解決した事例があったとすれば、誰しもが驚愕するであろう。
しかもそれが歴史上名を残す大量殺人鬼との関与であれば尚更…
今回は後に誰しもが驚愕するこの奇妙な事件の経緯を明らかにしていく。
始めに3人の立場から記載したい。
ノンフィクション推理小説家「ダイアン・ファニング」
ダイアン・ファニングは様々な実録事件を著書にまとめ、数ある賞を受賞してきたノンフィクション推理小説家である。業柄、事件や殺人犯などの心理に興味を持つことが多いとされる。
ダイアンは2006年に思わぬ形で世間から注目を浴びることになる。それは小説で賞を取ったことではなく、”ある重大事件との関与を明らかにした人物”だからである。
10歳になる息子の殺人容疑を疑われた母親の「ジュリア・レア・ハーパー」
1997年10月13日、10歳になるジョエル・カークパトリックは母親のジュリア・レア・ハーバーの自宅で胸部をメッタ滅多刺しされ無残な遺体となって発見された。
一番に疑われたのはジョエルの母親であるジュリア。しかしジュリアは「誰かが家に侵入して息子を殺した、自分も殴られた」と関与を否定、第三者の関与を訴えた。しかし、当時ジョエルの親権を持っていた元夫は「ジュリアがやったんだ。そんな女だ。妊娠した時も中絶しようとしていたくらいだから!!」と主張。
第三者の明らかな関与も認められず、当時は防犯カメラなどもなかったため、夫の証言が有利に働いたのか母親のジュリアは逮捕された。
ジュリアは殺人罪で起訴され禁固65年の刑に処された。しかし、ジュリアは刑務所の中で無実を訴え続けていた…
歴史上名を残すシリアル・キラー!!大量殺人鬼「トミー・リン・セルズ」
歴史上に名を残す有名な大量殺人鬼と呼ばれる人々がいる。その中の一人がトミー・リン・セルズだ。
彼は幼い頃から母親の愛情を受けずに育ってきた。今で言う育児放棄状態の母。トミーが7歳の頃に近くに子供好きの優しいおじさんが現れ慕っていたが、そのおじさんから性的ないたずらをされ(小児性愛)、それらの経験が後の彼の精神に大きく影響を与えたと考えられている。この時既にトミーは飲酒やマリファナなどの薬物を覚えさせられていたという。
母親からの愛情不足による素行不良。14歳で家出をしそこから生活の為に泥棒三昧の日々。
一番最初の殺人は「泥棒に入った家の家主が、子どもと関係を持っている場面を見て逆上し殺人を犯した」とされている。トミーが泥棒をしようとして押し入って見た光景は、過去の自分を彷彿させるものであったのかもしれない。
そしてここからまるで殺人に目覚めてしまったかのように人を殺していくトミー。
暴行目的で少女を殺害し子供も容赦なく殺害。証拠隠滅のためなら赤ん坊さえも手にかける始末。
窃盗や住居侵入などの別件で何度も逮捕されているにも関わらず、本事件との関係は見逃されてしまい短期で出所。その都度殺人を繰り返し犯していた。また、当時州警察同士の連携が薄く、そこを付いたトミーは州をまたいでは殺人を繰り返していたことから逮捕を免れていたのだ。
彼が正式に逮捕されるまでの間、自分でも何人殺してしまったのか分からないほどであったのだ。後の裁判において、最低でも70人は関与が明らかとなっているものの、実際はその数を上回っているのではないかとさえ言われている。
彼がようやく逮捕されたのは2001年であった。13歳の少女を殺害した罪での逮捕であった。
しかし、この時はまだトミーが他の多くの殺人に関与していることは誰しもが想像していなかった。
トミーの大量殺人が明らかにされたのは彼の”自白”を持ってであった。トミーの自白により、それまで各州の未解決事件となっていた殺人事件の再捜査が行なわれ、警察関係者のみならず全米を震撼させる出来事となった。
そんな歴史上に名を残すシリアル・キラーも2014年4月3日に処刑された。
まさにアンビリーバボーな展開!?関係がなさそうな事柄の点と点がつながる時
一見、この3つの事柄は何も関係していないように見える。
しかし、ダイアン・ファニングは当時10歳の少年が殺された事件の報道をテレビで見た時に違和感を覚えた…。
「本当に彼女が犯人なのか…?」
気になったダイアンは当時既に逮捕され刑務所にいるという大量殺人鬼のトミー・リン・セルズに「何か犯人への手がかりになるヒントが彼なら分かるのではないか?」と考え、連絡をとった。
そして2002年のこと、ダイアンがトミーへ取材へ行った際に驚愕の事実を知ることになる。
ダイアンはトミーへ「10歳の少年ジョエル・カークパトリックが母親のジュリア・レア・ハーバーに殺されたという容疑がどうしても納得できない。他に犯人がいるとするならばどのような犯人像であろうか?」と聞いたところ、なんと自身が当時の事件に関与していたことを告白した。
事件の真実
1997年当時、まだ逮捕されていなかったトミーはジュリアの家の近くのコンビニで彼女に注意されたことが事の始まりであった。侮辱された逆上し彼女の後を付けて家に侵入した。そこで運悪く出くわしたジョエルを殺害したという経緯であった。
これら驚愕の事実を知ったダイアンは無実を訴え続けていたジュリアと警察に連絡。自分が証言するから裁判のやり直しを請求した。そしてジュリアは無罪を勝ち取ったのだが、息子を失うだけでなく、夫からも疑われ、自分は犯人扱い。心に深い傷を負うことになってしまった。
こうしてダイアンの職業柄としての勘がひとつの冤罪事件を救ったとも言える。無事に母親ジュリアの容疑を晴らしたと言っても過言ではないが、もしダイアンが真実を知らずそして行動に移すこともなかったと思うとゾッとする出来事である。
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