西山美香さん【湖東記念病院事件】が恋した刑事の名前は山本誠??冤罪の真実とは?

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事件

日本は「冤罪大国」とも言われるほど冤罪事件が多いとも言われるが、その中でも有名な冤罪事件がいくつかある。

その一つに「湖東記念病院事件」がある。この事件は2003年に滋賀県の湖東記念病院で入院中の患者が死亡したことを巡り、殺人罪に問われた元看護助手の西山美香さん。虚偽の自白によって懲役12年という刑が確定し、服役後の後に再審を請求。結果無罪が言い渡されたという。

この冤罪事件が生まれた背景には様々な要因があったとされている。

今回はこの西山美香さんの冤罪事件が生まれてしまった湖東記念病院事件について、気になったので調べてまとめてみた。

 

 

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西山美香さんが冤罪となった湖東記念病院事件の概要と真実

この事件は2003年5月に滋賀県の病院で入院中の男性患者(72)が心肺停止の状態で発見されたことから事件が始まった。容疑を疑われた当時看護助手をしていた西山美香さん(当時23歳)が任意を取り調べに対し、「自分が(人工呼吸器の)チューブを引き抜いて殺した」と供述したことによって殺人罪て逮捕・起訴された。

公判では容疑を否認した西山さんであったが、一審の大津地裁は懲役12年の判決を言い渡す。西山さんサイドは控訴・上告をしてものの、2007年5月に刑が確定し服役していた。

服役中に行われた1度目の再審請求は棄却されたが、2度目の再審請求において大阪高等裁判所は再審開始を決定。一方、西山美香さんは12年間服役し2017年8月に満期で出所。

2度目の再審請求は西山さんが出所して4ヵ月ほど経過したころだった。

そして2020年の今年3月に大津地裁での再審で無罪判決が下された。

 

一度刑が確定したにも関わらずなぜ逆転無罪判決となった!?判決内容とは?

今年の3月31日に行われた再審判決の言い渡しにおいて、裁判長は「犯人性以前に、事件性が証明されていない。」と述べた。

また「取り調べをした警察官は被告の迎合的(自分の考えを曲げてでも相手に合わせようとすること)な供述をする傾向が顕著であることを分かりながらも、警察にとって誘導的な取り白べを行うことは虚偽供述を誘発する恐れが高く不当であった」とも述べている。

 

冤罪はなぜ起こった!?西山美香さんが山本誠刑事に恋心を抱いてしまったことが要因!?

12年もの月日を「冤罪」という理由で棒に振ってしまう形となった西山さん。では事件当時、何があったのか?冤罪が起こってしまった理由はいくつかの要因があったとされている。

当時西山さんを担当した取調べをした状況とは?

当時、事件に関与していたのは西山さんの他に看護師が2名であった。最初は当然任意の事情聴取であったが、事件が1年以上発生した2004年7月6日に「職場での不満から、呼吸器のチューブを外した」と自白してしまった。

なぜ西山さんは虚偽の自白をしてしまったのか?

通常、取り調べとなるとそれは非日常的である。狭い空間に刑事と容疑者の2人きりで任意と言えど、長時間に渡る取り調べは精神的にも体力的にも過酷であると言える。

当時西山さんはまだ24歳。密室で取調べを担当した刑事は山本誠氏であったという。山本氏も当時県警本部から派遣された若き刑事であった。

当時の犯行現場では目撃者はおらず、証拠は自白が重要とされた。

取調べは時に過酷なものである。日本で「冤罪を生んでしまう取調べ」が問題として取り上げられるのは、時にこれらが行き過ぎてしまうからなのかもしれない。

なき罪を認めると急に態度が軟化する山本誠刑事に対し恋心を抱いてしまった西山美香さん

取り調べてにおいて刑事が「アメとムチ」を使い分けるのは常套手段である。しかし、西山さんはそのようなことは思わなかった。

実際、西山さんが事件の内容を否認すると山本誠氏は「そんなはずはない」「嘘をつくな」

と机を叩いてきた。当時の西山さんはこの時のことを「密室なので怖かった」と話す。そして反対に「なき罪を認めると”急に優しい態度”になった。」と話す。”取り調べ”という非日常の空間に、これらの状況が長く続いたことで西山さんは「罪を認めることでこの人は”優しい男性”なんだ。」と惹かれていく自分がいた。また、時折優しい笑顔を見せる山本刑事に一層惹かれていったという。

 

極限の状態で生まれてしまった恋心…しかしその代償はあまりにも大きすぎた

この「取調べ」という特殊な状況下におかれた西山美香さん。そしてあろうことか、その取調べをした担当刑事である山本誠氏に恋心を抱いてしまった。

ある意味、極限状態におけるマインドコントロール下に置かれていたと言っても過言ではない。

現に山本誠氏と別れる際は、さながら恋愛ドラマのようであったという。

「会えなくなるのが寂しい」

西山さんは起訴される2,3日までに調書を書いていた山本誠氏の手の甲を撫でるように触れながら言った。別の日には「離れたくない。もっと一緒にいたい」と抱きついたという。

 

 

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西山さんが”供述弱者”であることを重要視していないことが最大の問題点

刑事に対し、あろうことか「”恋心”を抱くなんて…」と思ってしまうかもしれない。

しかし、後々弁護人が西山さんサイドに付き自身のことが明らかになっていくうちに、西山美香さんは「供述弱者」であることが明らかになり、それらを加味しない状況が「この冤罪事件を生んでしまった最大の要因と言えるのではないか?」と問題視されているのだ。

実は西山美香さんはADHD、発達障害と軽度の知的障害があるという。事件以前より情緒不安定な時もあり、あれこれ責め立てられるとパニックに陥り自暴自棄になることもあった。

これらのことを踏まえると、普通の人でさえ過酷な取調べの状況下に置かれても大変であるにも関わらず、更に発達障害や知的障害などのハンデがある人々にとっては「もっと慎重に進めるべきではなかったのか」ということになる。

このことから、本来西山さんの持つ障害などを加味しながら行わなければならない取調べであるにも関わらず、それらをほとんど無視するような形で進行されてしまった。

結果、警察側の有利な状況で勧められ、彼らの都合のいいように事件の経緯が歪曲されたことにより、やってもいない冤罪が生まれてしまったと言えよう。

 

現在の日本において、冤罪が生まれてしまう最大の問題点が浮き彫りになっているのだ。

 

 

 

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