氷見事件とは?柳原浩は真犯人ではなく大津英一!?冤罪事件の真相とは?

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事件

日本国内で何らかの罪を犯し、逮捕・起訴までいくとほぼ100%に近い形で有罪となってしまうのが現状である。

今まで数々の冤罪事件があったが、その中でも不運にも犯人であると誤認逮捕され、起訴まで至りその後の裁判で実刑が確定。しかし、その後男性が服役を終えた後に本当の真犯人が現れたことで、男性が冤罪であったことが判明した事件。警察の不当な取調べや検察のずさんな対応が明らかとなり社会問題となった。

今回はそんな氷見事件の経緯と真相について記載していきたい。

 

 

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普通に生活していただけなのに…

2002(平成14)年富山県氷見市で不運にも暴行事件の犯人とされてしまったのが、当時タクシー運転手をしていた柳原浩さん(当時34歳)であった。柳原さんは前科持ちでもなく、普通の一般市民として何ら犯罪とは関係のない生活を送っていたのだ。

時を同じくして同市内で2件の性犯罪が起こる。1月と3月の2回に渡り、10代の女性に対する暴行事件が発生。富山県警は2つの事件は犯人の靴跡の痕跡が同じであったことから、同一犯であると認定。量被害者の供述から似顔絵が作成された。この似顔絵に似ている人物が柳原さんであったため、柳原さんから任意の取り調べを開始された。

被害者の意見のみが一方的に優先されてしまった

被害女性2名は柳原さんの写真を見て「犯人だ」「似ている」と証言した。だが、1月に発生した事件では犯行中に被害者は目隠しをされていたし、3月に発生した事件では加害者はマスクをしており、両被害者共に犯人の顔をハッキリと見たという確証はない。これだけで柳原さんを犯人にするには不十分であると富山県警は判断していた。柳原さんの任意の取り調べにおいても、両日の事件が起こった日のアリバイも完全なものではなかった。

しかし、4月に取調べをしていた柳原さんを見た被害者の女性が「こいつが犯人に間違いない。」と言い切り、「ほぼ間違いないと確信がある。」更に「この男を殺して欲しい。」「今でも許せない。」などと、被害者が怒りや憎悪の感情を爆発させたことで富山県警は柳原さんが犯人であると強く思うようになってしまった。

警察の不当な取調べに対し虚偽の自白をしてしまう

柳原さんに対する警察の取調べはヒドいものであった。当初任意であった取調べであったものの、「お前がやったんだろ!!」と一方的に刑事が繰り返すだけで、一体何のことを言われているのか分からずにいた。ようやく2回目の取調べにおいて、自分は”何らかの暴行事件の加害者”の容疑の疑いがかかっていることが分かったのだ。もちろん「自分は無実だ」と訴えたが、「顔が犯人に似ている」というだけで全く聴いてもらえなかったのだ。

さらに、朝から晩まで過酷な取調べが続いたことで肉体的にも精神的にも疲れ果て、さらに追い打ちをかけるかのように刑事が「家族はもうお前を見捨てているぞ。」と言われたことで、ついにやってもいない罪を認めてしまった。3回目の取調べのことであった。

逮捕・起訴され実名報道…実刑判決の後に服役、そして出所後真犯人が見つかる

罪を認めてしまったことで逮捕・起訴された柳原さん。同年6月に捜査が終了し富山地裁で起訴された。当然弁護士も付けられたが、「(罪を)認める方向で。」と弁護士さえ柳原さんが虚偽の自白をさせられていると信じてもらえなかった。柳原さんは完全に闘う気力を失い、裁判で起訴事実を認め懲役3年の実刑判決が下る。控訴はせずに服役し2005年1月に仮出所した。

そして、それから約2年近くが経過しようとしていた2006年11月に鳥取県警が鳥取県米子市内で発生した強制わいせつ事件の被疑者として逮捕された大津英一容疑者(当時51歳)が逮捕された。取調べの中で大津容疑者は2002年に富山県氷見市で起きた罪についての余罪を自供したことで、富山県警が再捜査。当時現場に残されていた足跡痕が、大津容疑者が鳥取県米子市内で起こした暴行事件の現場の足跡痕と一致したため、自白以外の裏付けもあり大津容疑者が真犯人であることが判明した。同時に富山県警が改めて柳原さんに事情を聴いたところ、「事件には何ら関わっていない」ことを明白にした。これにて再審請求を行い、2007年に無罪判決が言い渡され確定した。事件が起きて以来、服役も含めて5年の歳月をついやした。

 

 

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後に明らかとなったずさんとも言える捜査の問題点

なぜ柳原さんは無実であるにも関わらず、このような前代未聞とも言える事態になってしまったのであろうか…。

そこにはずさんとも言える警察や検察側の捜査の問題点があった。

・犯行当時、現場に残っていた足跡痕は28cm出会ったのに対し柳原さんの足の大きさは24.5cmと犯人よりも明らかに小さめであった。また、柳原さんの自宅からもそれらしき大きさの靴は見つかっていなかった。

それらの取り調べにおいて、理由を問い詰められた柳原さんは警察側に誘導される形で「捨てた」「隠してある」「燃やした」などと供述を合わせてしまった。警察側もそれらが”事実”であるとするならば、靴の入手経路なども調べる必要があったのだが、そこは解明せずに至ってしまった。

・被害者の供述では、「犯人はサバイバルナイフのようなもので脅しチェーンのようなもので被害者を後ろ手に縛って犯行に及んだ」とされていた。しかし、実際に柳原さんの自宅を家宅捜査してもそのような凶器や道具は発見されなかった。にも関わらず、検察官は「犯行に使用された凶器は自宅にあった果物ナイフであり、手首を縛ったのは自宅にあったビニール紐であった。」として起訴に至った。

事件発生時の時間帯に柳原さん宅から柳原さんの兄宅へ電話がかけられた記録があったにも関わらず、これもアリバイの証拠として見落とされていた。

現場見取り図作成についても、捜査員が鉛筆で下書きした物を柳原さんが上からボールペンで清書する形であったという。

また犯行を再現するために行われた「引きあたり捜査」では、現場付近に連行された上で警察側から与えられる情報を受け入れるような形で証拠書類が作成された。後の捜査の問題点として、捜査員が誘導するような形で取調べが行われたことは認めている。

柳原さんの苦悩とその後の裁判と賠償

柳原さんは刑務所から出所し、自身が無実であることが明らかになるまでの2年間は苦悩の日々であった。逮捕前に働いていたタクシー運転手の仕事は解雇。さらに柳原さんの父親は柳原さんが服役中に亡くなってしまい、死に目に合うことも出来なかった。

柳原さんは厳しい取調べや冤罪のストレスからPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥ってしまい、睡眠障害や自殺願望などに悩まされる日々が続いた。

 

無実の罪が明らかになってからは柳原さんは富山県と国に対して、約1億を超える損害賠償裁判を起こした。結果、富山地裁は2015年3月の判決において以下にように判断した。

・警察が行った取調べに対しては「強い心理的圧迫を与える取調べを長時間に渡り行ったこと」「柳原さんが無実である可能性を示す証拠を過小評価し、十分に検討した形跡がないこと」「実際の現場で起きていた状況と柳原さんの実際の状況が異なるにも関わらず、その整合性も確かめることを怠り虚偽の自白を作り出そうとした」などの捜査の違法性を認め、富山県に対し2000万円の支払いを命じた。

しかし、検察官に対する違法性は認められず損害賠償を請求することは出来なかった。また取調べを行った警察官や起訴した検察官個人に対しても、「国家賠償法は公務員個人の賠償責任について規定するものではない」として棄却された。この判決で原告・被告双方が控訴せず、刑が確定した。

冤罪被害撲滅を目指して

氷見冤罪事件が発生してから18年。柳原さんは自身の冤罪被害経験を活かし、講演会などを行う活動をしている。また著書も執筆されている。

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