藤井(中野)裕子【柔道家】がラファエラ・シルバをメダルに導いた!?成功の秘訣とは?

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オリンピック

いよいよ来年2020年に東京でオリンピックが開かれようとしている。

東京大会で盛り上がりを見せる中、過去に日本人選手がコーチとなって海外選手への指導しメダルへと導くケースもある。

そんな関係性の2人が日本人で柔道家の藤井(中野)裕子さんとブラジル人のラファエラ・シルバ選手だ。ラファエラ・シルバさんは藤井裕子コーチのもと、2016年に金メダルを獲得している。

今回はラファエラ・シルバ選手の生い立ちと2016年に見事メダルへと導くことが出来た藤井裕子コーチの物語について調べてまとめてみた。

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貧困や差別に屈しない!!ラファエラ・シルバ【ブラジル人柔道家】の壮絶人生とは??

ブラジル人のラファエラ・シルバ選手はブラジルのリオデジャネイロ出身。

首都リオデジャネイロの中でも貧困層の町であるファベーラで生まれ育ち、少女時代の8年間を過ごした。暴力事件や麻薬事件などの犯罪も日常茶飯事という治安が悪い街であったために、ルイスさんの父親が娘が”犯罪に巻き込まれないために”という思いからシルバさんと姉のラクエルさんと共に柔道を教え込んだ。

7歳から柔道を始めたシルバ選手は非営利組織のサポートを受けながら柔道家として腕を磨いていった。2008年にはタイのバンコクで開催されたジュニア選手権で57kg以下級に出場し見事優勝。

ロンドンオリンピックでブラジル代表として出場したシルバ選手は2回戦で敗退した。この時まだシルバ選手は20歳であったが、真剣に引退することを考えていたという。

それは柔道家としての自分の限界を感じていたからではなく、試合後に浴びせられた”中傷”であった。

試合後、シルバ選手が負けたことに対して憤慨したブラジル人の人々が、シルバ選手への誹謗中傷する内容のツイッターへの書き込みが相次いだ。しかも、その内容は試合中の柔道の技術に関することではなく、黒人であるシルバ選手への差別的発言も含まれていた。ツイッターの中では「檻に入った猿め。お前なんかオリンピック選手ではない。」というツイートがあり、オリンピック委員会がこの投稿をしたユーザーに対して法的措置を検討する事態にまでなった。

シルバ選手は引退を決断することなく、柔道を継続した。そして地元で開催されたリオデジャネイロオリンピックで見事金メダルを獲得したのだ。その後シルバ選手は地元の人種差別に関するフォーラムに参加し、その後の記者会見の場にて「私が檻の中に入れられるべきという人がいましたが、このメダルが彼らへの回答です。」と自身の思いを語った。

また、シルバ選手は自分の幼い頃からの生い立ちを思い出しながら「ファベーラで暮らす黒人は日々の生活の中で人種差別に直面している。」と話した。ブラジルで起こっている人種差別や女性差別などの人権問題を社会から撤廃したい思いを訴えた。

シルバ選手の訴えは人権問題に訴えかけるだけでなく、子ども達への未来にも投げかけている。

「このメダルはファーベラで暮らす子ども達への希望にもなるのです。」と語る。

 

 

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ラファエラ・シルバにメダルへと導いた藤井(中野)裕子とは??

一方、ラファエラ・シルバ選手を金メダルへと導いた藤井(旧姓:中野)裕子さんだが、藤井さんも幼少の頃から柔道を始め、若くして指導者へ転向した。

柔道を始めたのは5歳の時、中学・高校と柔道大会で上位を獲得。

大学・大学院と教育学部を卒業し24歳で現役を引退。引退後の2007年にイギリスへ語学留学。

入学したバース大学で柔道部のアシスタントコーチをする。2010年には指導力の高さが評価され、イギリスのナショナルチームのコーチに選抜される。

そして2015年5月にブラジル女子の代表チームに選抜される。

藤井コーチとラファエラ・シルバ選手が初めて出会ったのは2012年末のこと。

藤井さんがシルバ選手に抱いた最初の印象は「練習が嫌いなんだな」ということであった。

それは道端の隅にいたり、逃げ出してしまうことも何度もあったからだ。選ばれたメンバーの中でも異端的な存在であったという。

藤井コーチは「問題児的な側面を持っているのかな。それなら上から押し付けるような指導よりも、隣に寄り添うような指導法が合っているのかも。」と直感。そして二人三脚の日々が始まったのだ。

 

 

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