マンスールさん【イラン人】のお店「花角」は上板橋のどこにある?

スポンサーリンク
※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。冒頭画像はイメージ画像です。
お店

イラン人であるマンスールさんはに上板橋で居酒屋を経営しているのですが、料理の量が「爆盛り」ということでメディアにもたびたび取り上げられているようです。

今回はそんな居酒屋「花門」を営むイラン人男性のマンスールさんを調べてまとめてみました。

 

 

スポンサーリンク

 

 

花門【居酒屋】の店主はイラン人のマンスールさん!!

 

この投稿をInstagramで見る

 

居酒屋 花門(@izakayacomeon)がシェアした投稿

名前:マンスール

生年月日:今年で58歳

来日のきっかけは「おしん」がきっかけだった!?

イラン出身のマンスールさんですが、今年で来日34年目になります。30年前に2歳年上の今の奥さんであるきよみさんと結婚。今のお店である花門はお客さんがたくさん来る願いを込めて「come on」との掛け合わせて命名されたと言います。

イラン人男性のマンスールさんですが、日本へ来るきっかけは何だったのでしょうか??それは日本のドラマ史上最高視聴率(62.9%)を記録した不朽の名作である「おしん」を母国で見たことがきっかけでした。1980年に始まったイラン・イラク戦争により混乱の最中にありました。娯楽と言えるものはあまりなかったのですが、その中でも唯一の楽しみこそが日本のドラマである「おしん」であったと言います。第二次世界大戦中やその後の人生をたくましく生き抜くおしんは、日本のみならずイランでも視聴率90%を超す大ヒットドラマとなりました。8人兄弟のマンスールさんも

「ニッポンに行けばおしんに会えるかな? 日本人は慎ましくて素晴らしいね」とすっかり日本の虜になってしまったと話します。

引用元:デカ盛りメニューも400円!コロナ禍で苦境も「おなか一杯食べて欲しい!イラン人男性が営む居酒屋に涙」

そんな思いを持っていましたが、当時は戦争の影響で大学が閉鎖。日本企業で働いて家族を安心させたいと思い、24歳で初来日します。当時のイランは海外へ持ち出せるお金が300ほど。苦労の末300ドルを貯めたものの出国の際に空港の両替トラブルですべて失ってしまいます。見送りにきていた母親に10ドルだけ借りて来日することになります。

夢の初来日を遂げるもお金のない日々…そんな時に救ってくれた恩人

来日後は日本語学校で日本語を学びます。アルバイトをしながら勉強に励みますが、毎月のアルバイト代から学費や家賃を払うと残るのはわずか1万円のみ。何日もご飯が食べられない日が続き、部屋にお風呂もないため食器用洗剤で身体も洋服も洗うなど極貧な生活が続きました。

そんな苦しい時を支えてくれたのがアルバイト先の居酒屋のマスターでした。異国の地で頼る人がいないマンスールさんに対して、アパートの保証人になってくれて、食べ物に困っていたマンスールさんに「お店の食材なら自由に食べていいよ。」とまで言ってくれたんだそう。

そしてマンスールさん自身も「恩返しがしたい」とマスターと同じように居酒屋を経営することになります。

「少しでも恩返ししなくちゃという気持ちですよね。まだ何もしていないので、これからです。たくさんおもてなしします。それしかできないんですよ」

引用元:デカ盛りメニューも400円!コロナ禍で苦境も「おなか一杯食べて欲しい!イラン人男性が営む居酒屋に涙」

 

最初は普通のお店であったが…デカ盛り店へと変化した経緯

マンスールさんの営む花門ですが、最初は激安でもデカ盛りでもない普通の居酒屋であったと言います。それが今のような形態になったのは、開店2年目のとある日、来日した若い夫婦が800円のサイコロステーキを諦め、それより安い380円の焼きそばを注文と言います。その夜、

「あの夫婦に好きな食べ物、食べさせられなかったな。これは私がやりたかったニッポンの居酒屋かな」

引用元:デカ盛りメニューも400円!コロナ禍で苦境も「おなか一杯食べて欲しい!イラン人男性が営む居酒屋に涙」

とそう考えたマンスールさんは次の非から全ての食事メニューを400円へと変更することにしたのだとか。

マンスールさんのお店である花門の全品400円激安デカ盛りとは?

 

マンスールさん【イラン人】のお店「花角」は上板橋のどこにある?

名前:居酒屋 花門(COMEON)

住所:〒174-0076 東京都 板橋区 上板橋3丁目6-7

 

 

 

 

コメント

error: コピー出来ません
タイトルとURLをコピーしました