鯉夏花魁【鬼滅の刃】がカワイイ!!炭治郎にあげたお菓子は何??

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アニメ

「鬼滅の刃 無限列車編」にて日本歴代興行成績トップを塗り替え、社会現象となったアニメ鬼滅の刃ですが、ついに2021年秋冬に続編の「遊郭編」が放送されます。

この遊郭編においても激しい戦闘シーンが繰り広げられますが、戦闘シーンが始まる前の炭治郎たちが遊郭に乗り込もうとする時のワチャワチャしたコミカルなシーンも結構好きだったりします。

煌びやかな世界の遊郭がアニメで再現されるのでそれらも楽しみなのですが、遊女の最高位である「花魁」が登場するのも楽しみです。「遊郭編」では何人かの花魁が登場するようですが、中でも鯉夏花魁はその美貌と性格の良さが際立っていますよね。

遊郭に乗り込んできた炭治郎にも優しく接します。炭治郎がたくさんの荷物を運んだお礼に、「後で食べなさい」とお菓子を渡すシーンがあります。何とも癒されるシーンなのですが、この時鯉夏花魁が炭治郎に渡した丸い形のお菓子が何なのか気になったので今回調べてまとめてみました。

 

 

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鯉夏花魁がカワイイ!!炭治郎にあげたお菓子は何なの??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鬼滅の刃」は鬼を退治していく物語なので、当然激しい戦闘シーンが多いのが特徴ですが、戦闘シーン以外での場面に癒されることも多いです。

物語で登場する鯉夏花魁は「器量良し性格良しの美人」で、当然周りからも慕われています。同時に出てくる蕨姫花魁もとても美しいようですが、何せ性格がキツく(まぁ鬼なので…)自分が世話係として付くなら「絶対鯉夏花魁でしょ!!」と言い切れるでしょう。

さて、冒頭でも述べたとおり、遊郭に乗り込んだ炭治郎が鯉夏花魁の荷物を運んだことのお礼にあるお菓子をもらいます。漫画だと「紙のような敷物に丸い色の付いたお菓子」を炭治郎に渡すシーンが描かれています。

お菓子が出てくるのはこのシーンだけなので、「丸くて色が付いているもの?」くらいしか分かりませんよね。2021年12月に放送が開始される「鬼滅の刃 遊郭編」が放送されれば、きっとこのシーンも出てくる可能性が高いので、アニメで「何色か?」が分かれば、またどのようなお菓子なのか搾れると思うのですが、現時点ではこのくらいの情報しか分かりません。

ただ、時代が大正時代であることと、「遊郭編」の舞台が吉原遊郭という有名な場所ですので、この情報を元に「どんなお菓子であるのか?」を勝手ながら推測してみました。

 

花魁や遊女も愛した!?吉原遊郭限定の名物スイーツとは??

さて「遊郭編」では炭治郎らの戦闘の場面にもなる「吉原遊郭」という場所になります。

聞いたことがある人も多いと思いますが、吉原遊郭の歴史は長く江戸時代から昭和初期頃まで続いたとされています。江戸幕府によって公認されていた吉原遊郭ですが最初は江戸日本橋(現在の日本橋人形町)にありましたが、明暦の大火(1657年)という大火事によって消失してしまったために、その後浅草裏の日本堤(現在の東京都台東区千束あたり)に場所を移転しています。大火事が起こる前後で前者を元吉原、後者を新吉原と呼ぶようになったそうです。

さて「吉原遊郭」では、美貌と教養と兼ね備えた遊女の最高位である「花魁」から、名もない無名の遊女までさまざまな女性がいましたが、有名なのはそれだけではなかったようです。当時の「吉原遊郭」は今でいうところの東京の歌舞伎町や銀座、大阪なんばのような繁華街や歓楽街を兼ね備えていました。そのため、そこでしか手に入らないお土産や名物が売られていたのです。1853年に「守貞漫稿」という、当時の状況を記す(今でいうところの雑誌のようなもの)書物には、「吉原名物」として次の7品の記載がありました。袖の梅(二日酔いの薬)、竹村伊勢の巻き煎餅、吉原細見(吉原の情報誌)、甘露梅(かんろうめ)、増田半次郎のつるべそば、最中の月、あげや丁山やの豆腐。この中でお菓子だと考えられるのは竹村伊勢の巻き煎餅、甘露梅、最中の月であると思います。

大正時代は1912年からなので60年くらいの歳月がありますが、長い年月でお菓子も変化があるとは思いますが、原型的なものは変わらないと思うので、「鯉夏花魁が炭治郎にあげたお菓子はこの中のものの可能性が高いのではないか」という考察で進めたいと思います。

また、最高位である花魁であっても遊女であることに変わりはないので、原則的に吉原遊郭のエリアから自由に出入りすることが出来ないことを考えると、自身がいる遊郭の近くで仕入れるなどの可能性が高いと思われます(外から来るお客さんからもらうなどしない限りは)。

 

竹村伊勢の巻き煎餅

(画像はイメージです)
吉原遊郭にあったとされるお菓子屋さん「竹村伊勢」に「巻き煎餅」というお菓子がありました。これは小麦粉で出来た生地を巻いて筒状に焼き上げた物です。現在のように、空洞部分に甘いクリームなどが入っていたわけではなく、巻いて焼いただけの素朴なものであったようです(生地自体に砂糖が入っていたのかは不明)。

当時の吉原遊郭では有名なお菓子であったようですが、鯉夏花魁からもらったお菓子の形状と異なるのでこのお菓子ではなさそうです。

最中の月

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「最中の月」ですが、私たちが「最中(もなか)」と聞くと「最中と最中の皮の間に餡子が挟んである和菓子」という認識ですが、実は最中の最初の起源こそがこの薄い皮だけの物を「最中」と呼んでいたそうです。これが江戸時代中期に吉原の煎餅屋にて販売されていたのです。

もち米に水を入れたものを捏ねて蒸し、薄くのばして丸い形にして焼きます。最後の仕上げに砂糖をまぶした煎餅のような干し菓子であったとされています。当時は現在のように餡子が挟まれていたわけではなく、その後この「最中の月」で餡子が挟まれたものが主流となっていったと言われています。こちらが主流になるまでは、最中の皮で餡子を包んだものは「最中饅頭(もなかまんじゅう)」と呼ばれ別のお菓子として認識されていたようです。

また、別の説では「最中の月」ということで名前からしてお菓子のモナカだと考えてしまいますが、実は「あんころ餅の一種ではないか」という見方もあるようです。

炭治郎が鯉夏花魁からもらったお菓子の内容を考えると、煎餅のように丸は丸でも平べったい丸ではなく、球体の丸っぽいお菓子なので煎餅とは考えにくいと思います。どちらかというとあんころ餅のほうが丸っぽいのであんころ餅の可能性も考えられそうです。

甘露梅

最後に「甘露梅」ですが、作り方は梅に紫蘇の葉を巻いて砂糖漬けにしたものでした。

作り方こそシンプルでしたが、遊女や芸者たちが総出で仕込みをしていたといいます。毎年5月になると仕込みを始め、種抜き作業や酢梅に漬けるなどの工程を経てから砂糖漬けにする等してなかなか手間のかかる作業でした。砂糖漬けされた甘露梅は密封してお正月までしっかり管理されます。そのため、正月のお年玉として吉原の茶屋から贔屓客への贈り物でもあったそうです。

一見すると私たちが知っている「梅干し」のようですが、甘露梅は歯ごたえのある若い青梅を使用しており、今でいうところのカリカリ梅のような食感であったとされています。実際の味ですが、ただ甘いだけではなく塩気もあるようです。

 

 

 

 

 

 

この甘露梅が一番炭治郎がもらったお菓子に近いような気がします。形状も青梅なら丸いですし、茶色っぽい色で色付きなのも漫画と照らし合わせると近いと考えられます。

 

 

さて、いかがでしたでしょうか。もしかすると全く別物のお菓子である可能性もあるかもしれませんが、こうやって漫画と遊郭の歴史を照らし合わせながら調べていくと、当時の人々がどのような生活をしていたのかが分かりますよね。本編の「鬼滅の刃」とはたまた違った楽しみ方が出来ると思います。

いずれにしても12月から始まる「鬼滅の刃 遊郭編」が楽しみでなりませんね。何か情報が分かり次第追加していきたいと思いますので、放送を楽しみに待ちましょう‼

 

 

 

 

 

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