長谷川裕也は靴磨き職人!!経歴&プロフィール、お店の場所はどこ?

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人物

「靴磨き」と聞くと、「貧しい人が路上でお金を稼ぐためにやる仕事…」という昔話などに出てくるようなことを想像してしまいますが、なんとこの靴磨きを始めたことで職人となり、最後には店を出店するまでに至った人物がいるのです。

そして靴磨きの大会において栄光の1番になったことでも知られています。

今回はこの靴磨き職人である長谷川裕也さんの経歴やプロフィール、気になるお店の場所などを調べてまとめてみました。

 

 

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長谷川裕也は靴磨き職人!!プロフィールが気になる!!

名前:長谷川 裕也(はせがわ ゆうや)

生年月日:1984年

出身地:千葉県

前職:製鉄所での仕事、英語教材の営業

現職:靴磨き職人

20歳の頃から丸の内の路上で靴磨きの仕事を開始。その後、品川駅の路上に移る。

2008年に自身の店舗であるBrift H(ブリフトアッシュ)を南青山にオープンさせた。

2017年には世界の靴磨き大会である「ワールドチャンピオンシップ」で優勝し世界一の靴磨き職人となった。

長谷川裕也の経歴とは?挑戦の連続だった!!

全財産2000円からのスタート

長谷川裕也さんの靴磨き職人へのスタートはたった2000円しか持っていないという状態からだった。それまでに製鉄所の仕事と英語教材の営業を経てのことであった。「どうにかしないと。」という必死の思いで思いついたのが路上マッサージと靴磨きの仕事であった。長谷川さん自身がもともとファッションが好きであったこともあり、靴磨きの仕事を選択した。

当時所持金が2000円しかなったため、100円ショップで必要な道具を購入。全部でたったの315円で友達と靴磨きの仕事を始めた。以外なことにすぐにお客さんが来たという。10分間の間に靴を一生懸命磨き、500円を手にすることが出来た。最初が靴の磨き方さえ知らなかったが、とにかく一生懸命に磨いたという。

その後もやってくるお客さんに対して靴磨きを行い、その夜7000円を手にすることが出来た。それは日雇いでもらう金額と偶然にも同じであったが、その価値は全く異なるものであったという。

自分のアイディアで稼げたという感動がありました。とても嬉しかったです。

もともと人と話すことが好きだから、お客さんと話しながら靴を磨いてお金がもらえるということが楽しくて、これはいい商売だなと思いました。

靴磨きの仕事は需要があることに気がつく

丸の内で靴磨きを始めてから約1か月後にはブランドショップで職を得ることが出来た。

ここでも自らの営業の才能で売り上げをどんどん伸ばし、1年後には副店長に抜擢されたという。

しかし、長谷川さんは休日にも路上に出て靴磨きの仕事を続けた。それはちょうど靴磨きを仕事とする世代の人々が引退し始めている時期であったからだという。通常、公道で靴磨きなどの仕事をする場合には法律の観点から必要な手続きを行わないといけないのだ。現在と違なり戦後の復興期には特例的に認められていた靴磨きであるが、現在ではそれらを新規で登録することは認められなくなったことと、靴磨きをしていた人たちが引退の年齢に差し掛かっていることも重なり、自然と靴磨き職人の数自体が減少していくのを目の当たりにしていたのだ。

だが、それでも靴磨き職人を必要としている人がいるところに長谷川さんは目を付けていた。有名なベテラン職人となれば常に行列が出来るし1日に100人ものお客さんが必要としているのだ。

弱気になったこともあったが諦めず、挑戦し続けた

長谷川さんもスグに人気の靴磨き職人になった訳ではない。東京駅では50年近いキャリアを持つ大ベテランの靴職人がおり、多くの顧客を持っていた。そのため、長谷川さんが休日に仕事に出てもお客さんが1人も来なかった日もあったのだ。そんな時は心が折れそうになったとうが、「諦めるのはもったいない」と靴磨きの拠点場所を品川駅の港南口へと移動した。ここには靴磨きをしている人がいなかったからだ。しかし、これが功を奏したのだ。

また、この頃ブランドショップ定員として副支店長をしていたが、休日が水曜日と固定給になったことも大きかったという。今までは休日がバラバラであったため、顧客が靴磨きをして欲しくてもいつ訪ねてよいのか分からずじまいなところがあった。しかし、固定休になったことで「毎週水曜日にやっています」と言えるようになり、定期的に訪ねてくるお客さんが増えたのだ。

また、顧客の要望から「訪問靴磨き」の仕事も請け負うこととなった。港南口でとある会社の社長さんの靴磨きをしていると、「うちには靴がたくさんあるから磨きにきてよ。」という要望だった。自宅へ訪ねると高級な靴が30足ほどあり一度には出来ないため、ショップの仕事へ出勤する前に何足かずつ分けて磨いていたという。それを機に長谷川さんは「ウチは出張もしているんですよ。」という話をすると次々に靴磨きの仕事が舞い込んだという。顧客は靴を多く保有している富裕層が多かったのだ。当時、出張までして靴磨きをする人はほとんどいなかった。

 

 

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22歳で独立を決意 お客さんの一言で今のスタイルが出来上がった

こうして長谷川さんは靴磨きを始めて3年後の22歳の時に独立をする。独立前もベテラン靴磨き職人に弟子入りをして勉強をさせてもらった。

そして毎日20 人から30人ほどのお客さんが訪ねてくるようになった。そのお客さんがまた知り合いを連れてきたりと顧客が増えていった。

そんなある日、長谷川さんの仕事姿をみて顧客から「カッコ悪いね。」と言われたのだ。

一瞬カチンときたが、よくよく聞いてみると「小さな椅子に座っているのはカッコ悪い。ネイリストみたいにテーブルとかに向かい合って靴を磨けないの?」と言われたのだ。

しかし、「路上でテーブルを広げることは出来ない。」と返すと「それならカウンターみたいなのを置いて職人が立ってする方が良くないか?美容師みたいにお客さんが座ってもらってさ。」

その場では何となくの返事で受け流していたが、頭の中ではそのことがグルグル回っている状態であった。

そこで某パーティーに呼ばれた時に即席のバーカウンターを作成し、お客さんには靴を脱いでもらって自分はそのカウンター越しに話をしながら靴を磨くということを実行してみたところ、予想以上に大好評であったのだ。

こうして顧客からの何なにげない一言から現在のスタイルが確立。2008年にはついに自身の店舗である「(ブリフトアッシュ)Brift H AOYAMA」を南青山店にオープンさせたのだ。

以降も靴磨きの価格の設定や靴クリームの開発など、長谷川さんは挑戦することを決して辞めない。

 

長谷川裕也の靴磨きのお店はどこにあるの?

さて気になるのが長谷川さんの靴磨きのお店であると思いますが、上記にもあったように本店は南青山にあります。


住所:〒107-0062 東京都港区南青山6-3-11 PAN南青山204

TEL:03-3797-0373

開店時間:平日 12:00~20:00(L.O 18:45) 休日11:00~19:00(18:00)

休日:火曜日

→長谷川裕也さんのお店「Brift H AOYAMA(ブリフトアッシュ)」の公式ホームページ

 

他にも公式ホームページでは飲食店とのコラボしたお店や北海道札幌市にも出店している。きになるひとは是非チェックして欲しい。

→長谷川裕也さんが展開する店舗はコチラからどうぞ

 

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